えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


広告

樹木とその葉
じゅもくとそのは
副題30 駿河湾一帯の風光
30 するがわんいったいのふうこう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日
入力者柴武志
校正者浅原庸子
公開 / 更新2001-06-14 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
えあ草紙で読む
HTMLページで読む

広告

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

find Audible YouTube

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

楽天Koboで表紙を検索

広告

本文より

 駿河灣一帶の風光といふとどうしても富士山がその焦點になる。久能山より仰ぐ富士、三保の松原龍華寺の富士、薩[#挿絵]峠の富士、田子の浦の富士、千本松原の富士、牛臥から靜浦江の浦にかけての富士など説明を付けるのがいやになる位ゐもう一般的に聞えた名勝となつてゐる。名物にうまいものなしの反對で、以上とり/″\にみな見られる景色であるだけに却つて筆の執りにくいおもひもするのである。
 なかで私の一番好きなのは田子の浦の富士である。田子の浦といふと何となく優美な――例へば和歌の浦とか須磨の浦とかいふ風の小綺麗な海濱を豫想しがちであるが、事實はひどく違ふ。意外な廣さ大きさを持つた砂丘の原であるのである。
 九十九里が濱の荒涼は無いが、東海道沿ひの松並木から續いて、ばらばら松の丘となり、やがて草も木もない白茶けた砂丘となり、ところどころにうねりを起しながらおほらかな傾斜をなした大きな濱となつてゐるのである。濱の廣さは、ばら/\松の丘から浪打際まで六七町から十町あまりあるであらう。西はすぐ富士川の河口となり、東はずつと弓なりに四里近くも打ち續いた松原となつて居る。松原の東のはずれには狩野川の河口があり、河口に近く沼津の千本濱があるのである。
 薩[#挿絵]峠などを含む由比蒲原あたりの裏の山脈は富士川の西岸で盡き東の岸からは浮島が原の平野となつてずつと遠く箱根山脈の麓まで及んで居る。その平野の東寄りの奧に愛鷹山がある。沼津あたりからはこの山が丁度富士の前に立ちはだかつて見えるのであるが、田子の浦から見るのだと、恰かも富士の裾野の東のはづれに寄つてしまつて、殆んど富士の全景に關係がなくなつてゐる。つまり廣大な裾野の西のはづれから東のはづれを前景にして次第に高く鋭く聳えて行つた富士山の全體が仰がるるわけである。
 富士山は何處から見ても正面した形で仰がるゝ山であるが、わけてもこの田子の浦からは近く大きく眞正面に仰がるゝ思ひがする。豐かに大地に根ざして中ぞら高く聳えて行つた白麗朗のこの山が恰も自分自身の頭上へ臨んでゐるかの樣な親しさで仰がるゝのである。何の技巧裝飾を加えぬ、創造そのまゝの富士山を見る崇嚴を覺ゆるのである。繪でなく彫刻でなく、また蒔繪や陶器の模樣でない山そのものの富士山を仰ぐことが出來るのである。
 人影とても見當らぬ砂丘の廣みのまんなかに立つて、ぢいつとこの山を仰いでゐると、そゞろに遠い昔の我等の祖先の一人が此處を通りかゝつて詠み出でたといふ古い歌を思ひ出さざるを得ない。
天地の分れし時ゆ、神さびて高く貫き、駿河なる富士の高嶺を、天の原振りさけ見れば、渡る日の影も隱ろひ、照る月の光も見えず、白雲もいゆき憚り、時じくぞ雪は降りける、語りつぎ言ひつぎ行かむ、富士の高嶺は、
田子の浦ゆうち出でて見れば眞白くぞ富士の高嶺に雪は降りける
 この歌の時代には四邊に人家もなく田畑…

えあ草紙で読む

ライフメディアへ登録

Koboユーザー必見!
楽天スーパーポイントとは別に
価格の5%がポイントに!

find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2016 Sato Kazuhiko