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愛と認識との出発
あいとにんしきとのしゅっぱつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「愛と認識との出発」 角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年6月30日、1967(昭和42)年9月30日64版
入力者藤原隆行
校正者小林繁雄
公開 / 更新2002-03-18 / 2014-09-17
長さの目安約 130 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]
  この書を後れて来たる青年に贈る
[#改ページ]

兄弟よ、われなんじらに新しき誡を書き贈るにあらず。すなわち始めよりなんじらのもてる旧き誡なり。この旧き誡は始めよりなんじらが聞きしところの道なり。されどわれがなんじらに書き贈るところはまた新しき誡なり。
        ――ヨハネ第一書第二章より――
[#改ページ]

 版を改むるに際して

 この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読まれて、数多くの版を重ね、今もなおあわただしい世相の動きにも、自己本然の真実の姿を失うまいとする、心深く、清き若き人々の間に読まれつづけている。
 私はその生命の春に目ざめて、人生の探究に出発したる首途にある青年たちにはこの書がまさしく、示唆に富める手引きとなり得るであろうことを今も信じている。私が恃みを持つのは思想的内容そのものよりも人生に対する態度である。いかなる態度をもって生きゆくべきか、その誠と力とラディカルな自由性とは今の青年たちに感染してけっして間違いないであろう。この書はたとい思想的に未熟と誤謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。私は反語とか諷刺とかの片鱗をもって論述を味わいつける、大家にも普通なレトリックさえけっして用いなかったのである。徹頭徹尾純一にして無雑な態度を守り得たことはこの書が若き人々に広く読まれるに際しての私のひとつの安心である。小さく賢く、浅く鋭く、ほどよく世事なれる今日の悪弊から青年たちを防ぐのに役立つでもあろう。
 この書にはいわゆる唯物論的な思想は無い。一般的にいって、社会性に対する考察が不足している。しかし生命に目ざめたる者はまず自己の享けたるいのちの宇宙的意義に驚くことから始めねばならぬ。認識と愛と共存者への連関とはそこに源を発するときにのみ不落の根基を持ち得るのである。社会共同態の観念もわれと汝と彼とをひとつの全体として、生を与うる絶対に帰一せしむる基礎なくしては支えがたい。社会科学の前に生命の形而上学がなくてはならぬ。
 この書を出版してよりすでに十五年を経ている。私の思想はその間に成長、推移し、生の歩みは深まり、人生の体験は多様となった。したがって今日この書に盛られているとおりの思想を持ってはいない。しかし私の人間と思想とのエレメントは依然として変わりない。そして「たましいの発展」を重視する私は永久に青年たちがそこを通って来ることの是非必要なところの感じ方、考え方の経路を残しておきたいのである。けだし思想は生命が成長するために脱ぎ捨ててこなければならぬ殻皮である。しかしその殻皮を通らずに飛躍することは何人にもあたわぬ。青春時代には青春の被覆をまとうていねばならぬ。生命と認識と恋と善とに驚き、求め悩むのは青春の特質でなくてはならぬ。社会性と処世と…

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