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文学の本質について(一)
ぶんがくのほんしつについて(いち)
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「平林初之輔文藝評論集 上巻」 文泉堂書店
1975(昭和50)年5月1日
入力者田中亨吾
校正者小林繁雄
公開 / 更新2004-04-05 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         一 形而上学的文学論の破産

「文学は種々の要素から成り立つ。そしてこれ等の要素は分析することができる。けれども、これ等の要素をどれ程分析していつても、そのあとに残るものがある。それが文学の本質である。文学を文学たらしめてゐるものである。」
 以上のやうな考へ方を私は形而上学的な考へ方であると断定する。
 多くの人々は、かうした考へ方を容認するか、或はかうした問題を全く考へて見ないことによりて、批評的精神の皆無を自ら暴露してゐる。これ等の人々は、文章を次のやうな公式で把握する。
「文学にはさま/″\な外的性質がある。これ等の外的性質は時代或は環境によつて様々に変化する。しかし、その核心に、不変のもの、千古不滅の一貫した何物かゞある。この何物かゞ文学の本質である。」
 然らば、この何物かは一体何であるか。この問ひに対して彼等は全く答へる術を知らない。それを永久の「何物か」として安んじてゐるのである。
 今から一世紀前の動物学者は、こんな風に考へたでもあらう。
「人間には種々な外的性質がある。そして言語、風俗、皮膚の色や、毛髪の色、体格の大小、知識の程度等の外的性質は人によりそれ/″\異つてゐる。けれども、そこに、人間を他の動物から判然と区別せしめる、即ち、人間を人間たらしめてゐる何物かゞある。」
 ところが近代の動物学者は、人間は猿と共通の先祖から生じたものであるといふ仮説をたてた。そして、この仮説は、解剖学的に、胎生学的に、生理学的に、更に進んでは心理学的にすらも支持されてゐるのである。人間といふ不変の本質があつて、様々な経験的要素がこの本質をとりまいて、千差万別の人間をこしらへてゐるのであるといふ考へ方は、実に生物進化論によりて、見事にその空疎を暴露したのである。人間の本質とは一定群の動物に与へられた定義に過ぎないことを暴露したのである。
 文学に就いても、それと同じことを言ひ得る。新しい文学理論は、本質といふ先験的な設定物を取り払つて、逆に、本質なるものは、多くの経験的要素の複合であるといふ見地から出発すべきである。かゝる見地に立つときは、文学を構成する様々な要素は、偶然に、文学の本質に附属してゐる随伴物ではなくて、却つてそれ等の要素の緊密な結合によりて、本質が構成されてゐるといふことになるのである。
 近時文学のもつ社会的性質が、一部の人々によりて強調された。このことは、我国の文学批評界に、かつてない活気を帯びさせ、限りなき論争を惹き起させつゝある。これに対して、自然主義前派の形而上学的理論家は、まるで文学に社会的性質があるといふことがわかると、文学の難破でゞもあるかのやうに力んで、文学には社会的性質なしと放言するに至つた。
 ついで、この理論のもつ矛盾、明々白々な破綻に気附くと、こん度は、彼等はなる程文学には社会的性質はある。しかし…

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