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支那古典学の研究法に就きて
しなこてんがくのけんきゅうほうにつきて
作品ID2610
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第七巻」 筑摩書房
1970(昭和45)年2月25日
初出「東方時論」1917(大正6)年2月発行、第二巻第二号
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-09-21 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 支那を解釋するには、支那人が是迄積み上げた事業と云ふ者を十分に研究して見なければならぬ。其の事業は一口に言へば文化であるが、その中には、政治もあれば、文學もあり、藝術もあり、乃至は土工の遺物もあつて、迚も一人の力の窮め得べからざる所であるが、予は其の立場として、支那民族發展の跡を繹ねて、その文化を刔剔し、之を理解する爲めの古典學研究について、茲に自己の經驗から得た方法を説明して見ようと思ふ。
 支那の古典學は、第一は經學であるが、それにも漢魏以來明清に至る各時代には、その時代々々の特色があつたが、大體に於て古典學の研究は唐宋から起つたと云つても宜い。漢人は學問に家法を重んじ、儒林の間には各家の師法と云ふ者があつて、弟子を以て師に紹ぐと云ふのだから、從つて新意を出すと云ふ樣なこともあまりなかつた。次いで六朝人と唐人とは所謂箋疏の學問で、漢人師法の學問について、その意義を鮮明にするに努めたが、經書を分剖解析すると云ふ樣なことは一向なかつたのである。尤も漢代には特出せる評論家があつた。それは有名なる劉向、其の子[#挿絵]の二人である。劉向は漢の王孫で、現今存在して居る漢以前の古典と云ふ者は大抵向[#挿絵]父子の校訂に成つたものである。處が向[#挿絵]父子の歿後はこの評論家と云ふ者が絶えてしまつた。
 唐人に至りて始めて經典に疑問を挾むの風が起り、宋に至つて盛んになつた。殊に朱子の一派の人などに至りては、經典の改竄までも敢てする樣になつたのである。勿論その頃の研究は、まだ學問の組織が十分に發達して居なかつた爲めに、その改竄といふものも常識で判斷して居る丈のことで、尚書に補訂をしても、其他禮記の改竄などに至りても、殆んど古本と面目を改める樣になつたが、その改竄の理由は何等の根據があつた爲めでなく、單に常識に訴へて、古書の意味を成さないと思つた處を武斷的に刪補したが、併しその反動の結果として、清朝の漢學派を生ずるに至つたのであるから、これも輕々に看過してはならぬ。
 宋人の餘弊とも見るべきは明人で、彼等は自分の心を師として、濫りに古典を改竄し、本文の増減をも心の儘にしたのである。清朝人は宋以來古書改竄の餘毒に懲りて、漢學派と云ふ者が起り、つとめて舊文を墨守する方向に傾き、殊に經書に至りては少しも改竄しないと云ふ立場から研究した爲めに、研究法も非常に完備して、近來西洋でする科學的古典學の研究と全く同樣になつたのである。それ程完備したに拘らず、その效果の割合に少なかつたのは、茲に一の越ゆべからざる限度を立て、一切の經文を疑はぬと云ふ墨守の弊が、又之を爲さしめたのである。
 清人が經典の文辭を疑はぬと云ふことは、宋人に比して謹愼と云へば謹愼である。けれども、その説を立てる上に於いて、何時も撞着するのは、その限度である。之が爲めに、窮經上より見れば、幾らか退歩の傾があつたと云…

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