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大師の入唐
だいしのにっとう
作品ID2612
著者桑原 隲蔵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」 岩波書店
1968(昭和43)年2月13日
初出弘法大師降誕記念會講演、1921(大正10)年6月15日
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-07-09 / 2014-09-17
長さの目安約 63 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     (一)緒言

 毎年この六月に、弘法大師降誕會が主催となり、東西の碩學を聘して講演會を開き、大師の遺風餘徳を偲ぶといふことは、極めて結構な企と思ふ。古人を尚友すと申して、過去の偉人を修養の手本とするのは、非常に效驗が多い。現存の人々にも立派な方は尠くなからうが、生きた人間の褒貶は定らぬ。憲政の神樣が一朝にして憲政の賊に早變りなし、清節を看板の人が、その反對の事實を新聞紙上に素張拔かれたりする。眞僞は兔に角、評判の定らぬ人間を、修養の手本とするのは危險である。大師の如き、千歳の下に日月とその光を爭ふ所の偉人を仰いで、修養の手本とするのが、極めて安全と思ふ。
 さて本年は不肖私が講演を引き受けいたした次第であるが、如何なる講演をいたすべきかと、可なり苦心を拂うた。一體私は宗教上の知識が不十分で、殊に眞言宗に就いての知識は皆無である。從つて大師の宗教上に於ける偉績を申述べる資格がない。さらばとて大師の文學とか、藝術とかに關しては、已に前年來先輩諸博士の講演が發表されて居つて、この方面でも餘り得意でない私が、態[#挿絵]蛇足を添へる必要を認めぬ。そこで色々思案の末に、茲に掲げた「大師の入唐」といふ題目を選ぶことにいたした。
 私は自分の專門として、唐時代の歴史は多少調査して居る。また私は支那へ滿二年間留學いたした。丁度大師も二年間唐に留學されて居る。大師が一年餘り滯在になつた長安には、私も半月餘り滯留いたした。大師が福建から長安へ、長安から浙江へ往復された、その道筋の半ばは、千百年後に、私も親しく通過した所である。この縁故により、大師の入唐の時、その往復に如何なる道筋をとられたであらうか。その旅行は如何に困難であつたであらうか。當時の長安は如何なる状態であつたであらうか。大師は長安で如何なる行動をされたであらうかといふ風の問題を、當時の記録と私自身の體驗とを土臺として御話し申したい。かかる講演は當會で未だ發表されて居らぬ樣であるし、旁[#挿絵]萬更不適當のものであるまいと思ふ。

     (二)渡海

 大師の入唐はその三十一歳の時で、正しく桓武天皇の延暦二十三年(西暦八〇四)に當る。この年の七月六日に、遣唐大使藤原葛野麻呂の一行が、肥前國松浦郡田浦から唐へ渡ることとなつた。大師は橘逸勢と共に、藤原葛野麻呂の第一船に便乘いたし、天台の傳教大師は、判官菅原清公の第二船に便乘いたした。ここで先以て申置かねばならぬことは、當時の日支間の航海は非常に危險で、今日では殆ど想像し得ざる程の困難が多かつたことである。
 申す迄もなく、當時の航海は帆船に乘るので、風の利用が第一に緊要である。所が當時日支間の航海に、この風の利用が十分研究されて居なかつた。一體西は紅海より、東は日本海に至る、東洋の海上に吹く風の方向は、季節によつて略一定して居る。所によつては多少の相違はあ…

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