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樹木とその葉
じゅもくとそのは
副題17 歌と宗教
17 うたとしゅうきょう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日
入力者柴武志
校正者浅原庸子
公開 / 更新2001-03-20 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 私は宗教といふものを持たない。また、それを知らない。知るべき機會にまだ遭遇しないでゐるのである。
 既成宗教に對する概念も極めて漠たるもので、寧ろ古いお寺とかお宮とか佛像とか、または昔の多くの殉教者たちの傳説などに親しみを感じてゐる位ゐのもので、全く宗教といふことに就いて云々する資格はないのである。
 然し斯ういふ心持は或はその宗教といふものに通じてゐるのではあるまいかといふことを折々考へる事がある。それは「歌」に對する私の心情である。
 歌に對する私の考へを極く簡單に言ふと、歌は自分を知りたいために詠むもの、守り育てたいために詠むもの、慰め樂しませ勵ますために詠むものと私は思つて居る。
 自分の生れて來てゐること、生きて行かうとしてゐること等に氣のついてゐる人は餘り多くあるまい樣におもはれる。多くはたゞ其處に置かれてあるとだけにぼんやりと生きてゐるので、オヤオヤこれが自分か、これが眞實の自分かと自分の姿に對して眼を見張る人すらも少ない樣に思はれてならない。
 それに反して歌を求むる心のうちには多少とも確に自分自身といふものに氣づいてゐる心が動いてゐるのを感ずる。また、何か知ら自分の思つてゐることを言ひ現はしてみたいといふ心の下には必ずその「自分」といふものが動いてゐねばならぬ筈である。
 斯くして漸く自分といふものゝあるのを知る。さうして其處に見出でた唯一無二の自分といふものに對して次第に親しみを感じ始めるのはこれは自然である。親しみを感ずると共にその自分を一層濁りのないものに、美しいものに、深い大きいものに進めてゆきたい心の起るのもまた自然であるといはねばならぬ。
 一首々々と拙い歌を作り重ねて行きつゝあることは、要するにこの自分といふものをもつとよく知らう、もつとよくしようといふねがひから出てゐる樣に私には思はるゝのである。斯ういふ風に言つて來るといかにも概念的に理窟つぽく聞えるのを思ふが、實は無自覺ながらに自づとさういふ傾向をとつて來てゐる樣に思はれてならないのである。
 私の曾つて詠んだ一首に、
わがこころ澄みゆく時に詠む歌か詠みゆくほどに澄めるこころか
 といふのがある。
 まつたく歌に詠み入つてゐる瞬間は、普通の信者たちが神佛の前に合掌禮拜してゐる時と同じな、或はそれより以上であらうと思ふ法悦を感じてゐるのである。
 おそらく私はこの歌の道を自分の信仰として一生進んでゆくであらうとおもふ。さうしていま自分の前に横たはつて居る歌の道はいよ/\寂しく、そしていよ/\杳かに續いてゐるのを感ずるのである。



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