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樹木とその葉
じゅもくとそのは
作品ID2622
副題14 虻と蟻と蝉と
14 あぶとありとせみと
著者若山 牧水
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日
入力者柴武志
校正者浅原庸子
公開 / 更新2001-04-04 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 光を含んだ綿雲が、軒端に見える空いつぱいに輝いて、庭木といふ庭木は葉先ひとつ動かさず、それぞれに雲の光を宿して濡れた樣に靜まつてゐる。蝉の聲はその中のあらゆる幹から枝から起つてゐる樣に群り湧いて、永い間私の耳を刺して居た。
 數日續いた暴風雨のあとで、今朝屆いた雜誌を一册載せたばかりの机の上には冷たい濕氣が浸みてゐた。讀むともなく開いた表紙の折目の蔭になつた隙間に口に含んだ煙草の煙を吹き込むと雜誌の向側から直ぐ眞白な濃い煙がさアつと机のおもて一面に擴がつて出た。そして机のしめりに浸み込む樣にベツトリと木地にくつ着いたまゝ這ひ擴がつてゆくのみで少しも上へは昇らない。もう一度私は同じ樣に折目の下から煙を吹いた。前の煙のあとを追うて浸み擴がつたそれは、やがてよれ/\に小さな渦卷を作りながら僅かに上に昇らうとする。二つ、三つと小さな渦は出來たが、矢張り上には立たなかつた。一二寸の高さに昇つたかと思ふと、くづるゝ樣に下に靡いて擴がつた。渦卷は山の形に、下に這ふ煙は信濃あたりの高い山から山の間に見る雲の海の形にも似て眺められて、私は幼い靜かな興味を覺えながら幾度となくその戲れを繰返した。
 不圖落付かぬ何やらの音が聞えた。紙とガラスの二重になつてゐる窓の障子の間にまひ込んだ何やらの羽蟲が立つる音である。疲れ果てたそして極めて靜かなその場の氣持を壞さない樣に、私はわざわざ座を立つてその蟲を逃がさうとした。見ると、それは大きな虻であつた。一度も二度も今朝がたから私を螫して逃げて行つたそれである。
 波立つ胸で私はその少し前に用意して來てゐた蠅叩きを取つた。そして一打ちにその大きな虻を打ち落した。あり/\と強過ぎる力で打たれた蟲は、片羽をもがれ、腸を出して死んでしまつた。
 そのきたない死骸を見て一時當惑した私はすぐそれを可愛がつてゐる蟻に與へようと思つた。離室になつてゐる私の書齋の石段には、常に三四種類の蟻が來て餌をあさつてゐた。眼にも入らぬ埃の樣な追ふにも追はれぬ小さな薄赤い蟻はよく机から本箱の隅までも這ひよつて來た。ぶつぶつ胴體が三つに區切れて長さ七八分から一寸にも及ぶ大きな黒蟻もよく机のめぐりにやつて來て私を驚かした。常に鋭く尻を押つ立てて歩くやゝ小さな黒蟻は好んで人を螫し、またこれに螫されると必ず二三日脹れて痛かつた。これ等のほかに、長さ一分ほどのほつそりした赤黒い蟻がゐた。この蟻は部屋にも上らず、どうかして着物に附いても容易に螫すことをしなかつた。で、私は餌さへあればこの見たところも他よりは可愛い蟻に與へるのを樂しみとしてゐた。
 降りこめられてゐたあとの日和で、三段になつた石段にありとあらゆる蟻が出揃つて駈け[#挿絵]つてゐた。辛うじてその中に私の目指す蟻の一疋を見出した私は、その忙しげに歩いてゆく鼻先に虻の死骸を置いた。考へ深さうにその大きな餌のめぐりを一周…

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