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安藤昌益
あんどうしょうえき
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「狩野亨吉遺文集」 岩波書店
1958(昭和33)年11月1日
入力者はまなかひとし
校正者染川隆俊
公開 / 更新2001-05-14 / 2014-09-17
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一 安藤昌益と其著書自然眞營道

 今から二百年前、安藤昌益なる人があつて、萬物悉く相對的に成立する事實を根本の理由とし、苟くも絶對性を帶びたる獨尊不易の教法及び政法は皆之を否定し、依て此等の法に由る現在の世の中即ち法世を、自然の道に由る世の中即ち自然世に向はしむるため、其中間道程として民族的農本組織を建設し、此組織を萬國に普及せしむることに由つて、全人類社會の改造を達成せしめようとしたのである。當時の學者が三教以外に何事をも考へ得なかつた間に在つて、かかる斬新なる思索を徹底せしめ、大膽なる抱負を實現しようとしたことは、啻に視聽を聳動する種類のことであるのみならず、實際重大なる問題を惹起する性質のものであるから、極めて謹愼なる態度を取り、輕率なる行動を避けたるがため、廣く世人の耳目に觸るることなく、其結果が遂にこの破格的人物の存在を忘るることに至らしめたのである。
 安藤昌益の名が文獻に見はれたのは、寶暦四年刊行の新増書籍目録卷二に、其著書である孔子一世辨記二册と自然眞營道三册とが掲載せられてゐるのが最初であり、又最後であつたらうと思はれる。此目録には安藤良中としてあるが別人ではない。私は此二書を未だ見たことがないので、漠然とその内容を想像することは出來るが、はつきりしたことは知ることが出來ない。既に出板になつたものとすれば誰か讀んだ人もあつたらうに、其後徳川時代を過ぎ明治に入る迄も、安藤の名が人の口に上らない所を以て見ると、彼の著述は當時何等の反響を起さずして、いつしか忘れられてしまつたものと思はれる。もし其樣な運命に陷つたものとすれば、あの時世大方讀む人が文章の不味いのと分り難いとに呆れて、思想の卓越したる所を理解する迄に注意して見なかつた爲と取らざるを得ない。
 明治三十二年の頃であつた。私は自然眞營道と題する原稿本を手に入れた。此本は元來百卷九十二册あるべきところ、生死之卷といふ二册が缺けて居た。九十二册の内初めの二十三册は破邪之卷、第二十四册は法世之卷、第二十五册は眞道哲論、第二十七册以下は皆顯正之卷となつてゐた。生死之卷もこの顯正之卷の内である。毎卷に確龍堂良中著と記し、寶暦五年に書いた自序の末に鶴間良龍と推讀される書印があつた。其頃は寶暦書目を參考することに氣付かなかつたので、多分鶴間が本名であると思ひ心當りを尋ねて見たが分らう筈がなく、其間に左傾派の人にも洩傳はり、幾分宣傳用に使はれたかとも思はれる。是程の見識を持つてゐた人の本名が知れないのは殘念と思つて、最後の手段として原稿本の澁紙表紙に使用された反故紙を一々剥がしながら調べて見ると、幸ひにも其中から手紙の殘闕が二三發見せられ、其内容から本名が安藤昌益であると推定されたのである。
 自然眞營道の原稿本は大正十二年の春東京帝國大學に買上げられ、其年の大震災に燒けてしまつた。かうい…

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