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「迷いの末は」
「まよいのすえは」
副題横光氏の「厨房日記」について
よこみつしの「ちゅうぼうにっき」について
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「文芸」1937(昭和12)年2月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-27 / 2014-09-17
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

『文芸春秋』の新年号に、作家ばかりの座談会という記事がのせられている。河豚礼讚、文芸雑誌の今昔などというところから、次第に様々の話題へ展開しているこの記事は、特に最後の部分、二・二六と大震災当時の心境についてそれぞれの出席者が所感を語っている部分に至って、読者の感想を喚び出す幾多のものを示している。徳田秋声、菊池寛、久米正雄等の作家たちが、震災以来今日までの十五年間に生きて来た社会的な道すじ、及び今日それぞれの人々が占めているこの社会での在り場所というものを、自ら読者に考えさせる言外の暗示を少なからず含んでいるのである。
 この座談会で、次のような話が交わされた。
徳田秋声「パリから白鳥君(正宗)が手紙をよこしてね。こっちに又来たけれども、退屈な日を送っていると云っているのだね。今度はお寺やなんかばかり見ている。鞄の中に西鶴のものが一冊入って居って、それが今一番ぴったり来るというのだね。向うのことは何にも分らんという。そんなことが書いてあった」
久米正雄「白鳥氏なんかよく享楽しているよ」
徳田秋声「そりゃそうですな」
 短い言葉のやりとりの裡に、語る人々、語られる人の風貌が躍如としていて、まことに面白い。全く白鳥という人は、世間並より或はずっとよく、そして巧に享楽もしつつ、退屈げな顔つきを日常の間にも作品の中にも漂わす作家なのであろう。向うのことは何にも分らない、なりにこの人は落付いている。彼を落付かせているものがよしんば何であろうとも、彼はそれを旅券や財布とともにパリの真中でも落しっこない人なのである。
 横光利一氏はそうはゆかない。向うのことは何にも分らないで白鳥のように安心も出来ないし、同時に此方のことが何にも分らないでも通用しかねるという苦しい自覚におかれた。『改造』新年号に「厨房日記」を読んだ人は、おそらく梶という名で立ちあらわれている一人物を通して作家横光の複雑な苦境と混乱とそれに何とか恰好をつけようとしてとられている身振りの貧寒さを感ぜざるを得なかったであろうと思う。
 この錯雑した作品の中にも、実感のある幾つかの小さい箇処がある。例えば梶が帰朝第一日、浴衣に着換えて妻の実家の十二畳の広間にひっくりかえった時、組みあげた足の先と妻の指先とが思わず触れあった瞬間の含羞。久しぶりで自分の子供の幼い顔を打ち眺めつつ、自分の見て来た世界の実際の大きさに今更ながら驚く気持など、読者にそれなりの心持としてふれて来るところも無いことはない。然しながら、全体としてこの一篇の作品が提出しているものは、世界の東西を貫いて、波浪高い今日の社会における矛盾相剋の間で、意識的に体をしゃちこばらせつつ遂に揉みくしゃとなった人間の姿である。
 鴎外以来、日本の作家はそれぞれの歴史的な時代に、それぞれの事情をもって海外への旅行を試みた。漱石も藤村も彼等の作家的発展の過程から、…

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