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春の盗賊
はるのとうぞく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日
初出「文芸日本」1940(昭和15)年1月
入力者柴田卓治
校正者小林繁雄
公開 / 更新1999-11-01 / 2014-09-17
長さの目安約 59 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

――わが獄中吟。



 あまり期待してお読みになると、私は困るのである。これは、そんなに面白い物語で無いかも知れない。どろぼうに就いての物語には、違いないのだけれど、名の有る大どろぼうの生涯を書き記すわけでは無い。私一個の貧しい経験談に過ぎぬのである。まさか、私がどろぼうを働いたというのではない。私は五年まえに病気をして、そのとき、ほうぼうの友人たちに怪しい手紙を出してお金を借り、それが積り積って、二百円以上になって、私は五年後のいまでも、それをお返しすることができず、借りたお金を返さないのは、それは見事な詐欺なのであるが、友人たちは、私を訴えることを、ようせぬばかりか、路で逢っても、よう、からだは丈夫か、とかえって私をいたわるのである。返さなければならぬ! いつも、忘れたことが無い。いま少し待っていて下さい。私は、きっと明朗に立ち直る。私は、もとから、自己弁解は、下手くそである。ことにも、私的な生活に就ての弁明を、このような作品の上で行うことは、これは明らかに邪道のように思われる。芸術作品は、芸術作品として、別個に大事に持扱わなければ、いけないようにも思われる。私は、或いは、かの物語至上主義者になりつつあるのかも知れない。私生活に就ての手落は、私生活の上で、実際に示すより他は無い。見ていて下さい。いまに私は、諸君と一点うしろ暗いところなく談笑できるほどの男になります。それは、いつわりの無い、白々しく興覚めするほどの、生真面目なお約束なのであるが、私が、いま、このような乱暴な告白を致したのは、私は、こんな借銭未済の罪こそ犯しているが、いまだかつて、どろぼうは、致したことが無いと言うことを確言したかったからに他ならない。どろぼうは、致したことが無い。ばかばかしく、こだわるようであるが、これにもまた、わけがあるのである。いったいに、私は誤解を受けている。めちゃ苦茶である。さすがに、言うにしのびない、ひどい形容詞を、五つも六つも、もらっている。これは、私が悪いのである。そんなひどい形容詞を、まっさきに案出して、それを私の王冠となして、得々としていたのは、誰でもない、私なのである。この私である。芸術の世界では、悪徳者ほど、はばをきかせているものだ、と誰がそんな口碑を教えたものか、たしかにそれを信じていた。高等学校のころには、頬に喧嘩の傷跡があり、蓬髪垢面、ぼろぼろの洋服を着て、乱酔放吟して大道を濶歩すれば、その男は英雄であり、the Almighty であり、成功者でさえあった。芸術の世界も、そんなものだと思っていた。お恥かしいことである。
 私の悪徳は、みんな贋物だ。告白しなければ、なるまい。身振りだけである。まことは、小心翼々の、甘い弱い、そうして多少、頭の鈍い、酒でも飲まなければ、ろくろく人の顔も正視できない、謂わば、おどおどした劣った子である。こいつが、ア…

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