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歴史の概念
れきしのがいねん
作品ID2660
著者狩野 亨吉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「狩野亨吉遺文集」 岩波書店
1958(昭和33)年11月1日
入力者はまなかひとし
校正者染川隆俊
公開 / 更新2001-06-29 / 2014-09-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 歴史の概念とは歴史が如何なるものかを突止め把握し得たとき、之に關する知識である。今その一端を述べようとするのであるが、先づ例證より探を入れることとする。
 支那の古い時代には歴史といふ語は無い。唯史とばかり呼んでゐた。このことは史記から明史に至るまでの歴代の正史は云ふに及ばず、主なる史書に使用してゐないのを見て推知すべきである。明末になつて、俗間一二の書物の表題に此語を使用したのが抑もの始でないかと想はれる。其中の歴史網鑑補といふ本は萬暦年間に袁黄といふ學者が書いたとなつてゐるが、此本を我國で寛文三年に翻刻し、爾來相當に行はれ、明治の初年までも讀まれたものである。此本からでも氣付いたものか、徳川時代に歴史と二字を連ねたものに、元禄年間刊行の巨勢彦仙の本朝歴史評註があり、享保年間編成の松崎祐之の歴史徴がある。しかし甚だ稀に見る程度のものであつたが、維新後流行り出し、文部省で學校の科目に此名を採用するに至り忽ち全國に普及し、終に三尺の童子の口にも上る親しき語となつた。その反響が支那まで達し、今では我國と同樣に使つてゐる。
 史は説文に事を記す者と解いてある如く、元來朝廷に於て記録の編纂を司どる人の役名であつたのを、後に編録した書物にも此名を應用するに至つたものである。即ち史の一字で事實を記述する意味が十分に備つてゐるのであるから、他の字を加へる必要のない譯であるが、何故に歴の字を附けたかを探して見ると、これは支那の文章では語を現すに一字では滿足せず、二字を駢べて威容を整へる習慣のあつたことから起つたと想はれる。
 歴は字典に過ぐる或は經ると解き、又行列の意味もあるが、行列の意味は經過の意味から派生すると考へて差支はない。此等の意味で史と結合の可能性がある。前の意味で結附けるには歴を名詞とし、結附けた二字を經過した事實の記録と取るべきである。後の意味で結附けるには歴を形容詞とし、自然に歴代の史といふことになるのである。網鑑補に冠したのは恐らく後の意味であつたらうと想はれる。しかし此意味を固守する必要はない。現在吾人の解するところは前の意味であり、その意味に取るとき歴史の二字の上に所謂歴史の概念が彷彿として浮出し來るのを覺ゆるのである。

      二

 事實といふ語は確なことがらの意味で、韓非子、史記などの古い本に見えてゐる。似た語の事件はあつさりと出來ごとを指すのであるが、古いものでないやうである。又事物と云ふ語もあるが、これは單純にものごとの意味で、廣く有氣無形に應用の利く、可なり古くからの語である。三ツの語は孰も所謂現象を指すのであるが、目の著け所が多少異るので、使用の目的を異にする。吾人は確實なりとの意味に重きを置き、事實と云ふを選んだのであるが、適當と思ふ場合には他の語を使用することもあるのであらう。しかし一番肝心な事實といふ語の…

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