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蒲生氏郷
がもううじさと
作品ID2709
著者幸田 露伴
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第4巻」 小学館
1989(平成元)年4月1日
入力者kompass
校正者土屋隆
公開 / 更新2006-07-17 / 2014-09-18
長さの目安約 133 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。蚊の嘴といえば云うにも足らぬものだが、淀川両岸に多いアノフェレスという蚊の嘴は、其昔其川の傍の山崎村に棲んで居た一夜庵の宗鑑の膚を螫して、そして宗鑑に瘧をわずらわせ、それより近衛公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔を発せしめ、随って宗鑑に、飲まんとすれど夏の沢水、の妙句を附けさせ、俳諧連歌の歴史の巻首を飾らせるに及んだ。蠅といえば下らぬ者の上無しで、漢の班固をして、青蠅は肉汁を好んで溺れ死することを致す、と笑わしめた程の者であるが、其のうるさくて忌々しいことは宋の欧陽修をして憎蒼蠅賦の好文字を作すに至らしめ、其の逐えば逃げ、逃げては復集るさまは、片倉小十郎をしてこれを天下の兵に擬えて、流石の伊達政宗をして首を俛して兎も角も豊臣秀吉の陣に参候するに至るだけの料簡を定めしめた。微物凡物も亦是の如くである。本より微物凡物を軽んずべきでは無い。そこで今の人が好んで微物凡物、云うに足らぬようなもの、下らぬものの上無しというものを談話の材料にしたり、研究の対象にするのも、まことにおもしろい。蚤のような男、蝨のような女が、何様致した、彼様仕った、というが如き筋道の詮議立やなんぞに日を暮したとて、尤千万なことで、其人に取ってはそれだけの価のあること、細菌学者が顕微鏡を覗いているのが立派な事業で有ると同様であろう。が、世の中はお半や長右衛門、おべそや甘郎ばかりで成立って居る訳でも無く、バチルスやヒドラのみの宇宙でも無い。獅子や虎のようなもの、鰐魚や鯱鉾のようなものもあり、人間にも凡物で無い非凡な者、悪く云えばひどい奴、褒めて云えば偉い者もあり、矮人や普通人で無い巨人も有り、善なら善、悪なら悪、くせ者ならくせ者で勝れた者もある。それ等の者を語ったり観たりするのも、流行る流行らぬは別として、まんざら面白くないこともあるまい。また人の世というものは、其代々で各々異なって居る。自然そのままのような時もある、形式ずくめで定まりきったような時もある、悪く小利口な代もある、情慾崇拝の代もある、信仰牢固の代もある、だらけきったケチな時代もある、人々の心が鋭く強くなって沸りきった湯のような代もある、黴菌のうよつくに最も適したナマヌルの湯のような時もある、冷くて活気の乏しい水のような代もある。其中で沸り立ったような代のさまを観たり語ったりするのも、又面白くないこともあるまい。細かいことを語る人は今少く無い。で、別に新らしい発見やなんぞが有る訳では無いが、たまの事であるから、沸った世の巨人が何様なものだったかと観たり語ったりしても、悪くはあるまい。蠅の事に就いて今挙げた片倉小十郎や伊達政宗に関聯して、天正十八年、陸奥出羽の鎮護の大任を負わされた蒲生氏郷を中心とする。
 歴史家は歴史家だ、…

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