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HUMAN LOST
ヒューマン ロスト
作品ID271
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集2」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年9月27日
初出「新潮」1937(昭和12)年4月
入力者柴田卓治
校正者小林繁雄
公開 / 更新1999-08-30 / 2014-09-17
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

思いは、ひとつ、窓前花。



十三日。 なし。

十四日。 なし。

十五日。 かくまで深き、

十六日。 なし。

十七日。 なし。

十八日。
  ものかいて扇ひき裂くなごり哉

 ふたみにわかれ

十九日。
 十月十三日より、板橋区のとある病院にいる。来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。銅貨のふくしゅうだ。ここは、気ちがい病院なのだ。となりの部屋の若旦那は、ふすまをあけたら、浴衣がかかっていて、どうも工合いがわるかった、など言って、みんな私よりからだが丈夫で、大河内昇とか、星武太郎などの重すぎる名を有し、帝大、立大を卒業して、しかも帝王の如く尊厳の風貌をしている。惜しいことには、諸氏ひとしく自らの身の丈よりも五寸ほどずつ恐縮していた。母を殴った人たちである。
 四日目、私は遊説に出た。鉄格子と、金網と、それから、重い扉、開閉のたびごとに、がちん、がちん、と鍵の音。寝ずの番の看守、うろ、うろ。この人間倉庫の中の、二十余名の患者すべてに、私のからだを投げ捨てて、話かけた。まるまると白く太った美男の、肩を力一杯ゆすってやって、なまけもの! と罵った。眼のさめて在る限り、枕頭の商法の教科書を百人一首を読むような、あんなふしをつけて大声で読みわめきつづけている一受験狂に、勉強やめよ、試験全廃だ、と教えてやったら、一瞬ぱっと愁眉をひらいた。うしろ姿のおせん様というあだ名の、セル着たる二十五歳の一青年、日がな一日、部屋の隅、壁にむかってしょんぼり横坐りに居崩れて坐って、だしぬけに私に頭を殴られても、僕はたった二十五歳だ、捨てろ、捨てろ、と低く呟きつづけるばかりで私の顔を見ようとさえせぬ故、こんどは私、めそめそするな、と叱って、力いっぱいうしろから抱いてやって激しくせきにむせかえったら、青年いささか得意げに、放せ、放せ、肺病がうつると軽蔑して、私は有難くて泣いてしまった。元気を出せ。みんな、青草原をほしがっていた。私は、部屋へかえって、「花をかえせ。」という帝王の呟きに似た調子の張った詩を書いて、廻診しに来た若い一医師にお見せして、しんみに話合った。午睡という題の、「人間は人間のとおりに生きて行くものだ。」という詩を書いてみせて、ふたりとも、顔を赤くして笑った。五六百万人のひとたちが、五六百万回、六七十年つづけて囁き合っている言葉、「気の持ち様。」というこのなぐさめを信じよう。僕は、きょうから涙、一滴、見せないつもりだ。ここに七夜あそんだならば、少しは人が変ります。豚箱などは、のどかであった。越中富山の万金丹でも、熊の胃でも、三光丸でも五光丸でも、ぐっと奥歯に噛みしめて苦いが男、微笑、うたを唄えよ。私の私のスウィートピイちゃん。
あら、
あたし、
いけない
女?
                ほらふきだとさ、
                わかっているわ…

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