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スモーリヌイに翻る赤旗
スモーリヌイにひるがえるあかはた
作品ID2726
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第九巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日
初出「大阪毎日新聞」1931(昭和6)年1月5日~21日号(15日号、19日号を除く)
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2002-11-12 / 2014-09-17
長さの目安約 52 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        レーニングラードへ

 夜十一時。オクチャーブリスキー停車場のプラットフォームに、レーニングラード行の列車が横づけになっている。
 麻袋。樺の木箱に繩でブリキやかんをくくりつけたもの。いろんな服装の群集は必要以上にせき込み、頸をもち上げて前の方ばっかり見ながら押し合った。
 三等車は鋼鉄だ。暗い緑色に塗ってある。プラットフォームの屋根の直ぐ下に列車の黒い屋根があり、あたりはあまり明るくないところへ、並んでるどの車もくすんだ色だから陰気に見えた。
 国立出版所に働いてるナターリアが、
 ――所書なくさないようにね、ああ、それから荷物のそばにきっと一人いるようになさい。
 手と異常に大きい眼とで別れの合図をした。が、それは、すぐ見えなくなってしまった。
 入って見ると、三等車の内部は暗いどころではなかった。ごく清潔な家畜小舎に似てる。黄色くひかっている。坐席は二段になって、上の方でもゆっくり寝られるようになっている。二人の日本女は向いの羽目にろうそくを入れた四角なカンテラの吊ってある隅の坐席におさまった。
 その車はすいていた。
 間もなく一人若い女がやって来て、日本女の前へ席をとった。ソヴェト市民が、その中へパンでも修繕にやる靴でも入れて歩いているところの茶色布張の小鞄一つが彼女の荷物だ。帽子をぬいだら金髪が三等車の隅の明りで見なれぬ美しさにかがやいた。
 その女は旅行なれた風で、暫くするとその小鞄を膝の上で開け、地味な室内着を出して、坐ったまま上から羽織った。脚を揃えて坐席の上へあげ、静かに板の上へ横になった。
 ソヴェトの三等夜行列車では、一組一ルーブル前後で敷布団、毛布、枕が借りられるのだ。しかし、若い女は借りない。二人の日本女は革紐を解いて毛布と布団をとり出した。色の黒い方の日本女は毛布と書類入鞄とを先へ投げあげといてから、傍の柱にうちつけてある鉄の足がかりを伝わって上の段へあがってしまった。
 下の坐席でもう一人の日本女が鞄を足元へ置こうとしたら、綺麗な髪を蔭においてふしながらそれを見ていた若い女が、
 ――枕元へおいた方がいいでしょう。
と注意した。
 ――私どもきっとぐっすり眠っちゃうから、明日の朝まで荷物見るものがないでしょう? だからね。
 そういって笑った。
 鞄を頭の奥へ立て、布団を体にまきつけ、やっと二人目の日本女も横になった。
 レーニングラード、モスクワ間八百六十五キロメートル。車輪の響きは桃色綿繻子の布団をとおして工合よく日本女をゆすぶった。坐席はひろくゆったりしている。南京虫もこれなら出そうもない。――そうだ。
 革命の時代は、三等車かそれとも貨車の中へいきなりわらを敷いて乗って行く方がずっと安全だった。なまじっかビロードなどを張った軟床車よりは。当時シラミは歴史的にふとっていたのだ。シラミはチフス菌を背負って歩…

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