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石油の都バクーへ
せきゆのみやこバクーへ
作品ID2758
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第九巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日
初出不詳
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2002-12-07 / 2014-09-17
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

 一九二八年九月二十八日、私ともう一人の連れとは、チフリスから夜行でバクーへやって来た。
 有名な定期市が終った朝、ニージュニ・ノヴゴロドからイリイッチ号という小ざっぱりした周遊船にのって、秋のヴォルガを五日かかってスターリングラードまで下り、そこからコーカサス、チフリスと経て、アゼルバイジャン共和国の首府バクーへ来たのであった。
 ソヴェト同盟へ来て八ヵ月目ぐらいの頃であった。いろいろな気持など、その時分は到って漠然としていたのだが、それでもその旅行の計画の中には、バクー見学とドン・バス炭坑見学とだけは繰りいれられてあった。ドン・バスの方はその前年全ソヴェト同盟のみならず世界の注目をひいたドイツ技師を筆頭とする国際的生産破壊計画事件が発覚したばかりであった。自分たちがモスクワへ着いたのはその年の十二月。革命十周年祝祭の歓びの亢奮とドン・バス事件に対する大衆の憤りの亢奮が新来の自分をも直ちにとらえた。ドン・バスへは是非よろう。旅行に出る前、自分は対外文化連絡協会から石炭生産組合へ紹介状を貰い、まだ地図もよく分からないモスクワの商業区域を歩きまわって、その手配をした。
 バクーは石油の都である。計画に入れてはいたが、ドン・バスほど確定的に考えていなかった。廻れたら廻ろう。その程度であった。それがグルジアの首府チフリスに三日いるうちに、バクー行を実現することになった。この動機の一端が、今になって考えると笑えるようなところにあるのであった。
 北コーカサスの温泉地を一晩ぐらいずつ見物して、或る晩ウラジ・カウカアズという町に着いた。チフリスへはコーカサス山脈を横断するグルジンスカヤ山道を自動車で十時間余ドライブして行く筈であった。コーカサスの雄大な美を知りたいと思えば、このグルジンスカヤ山道をおいてはない。そう云われている絶景である。ウラジ・カウカアズが、その起点となっているのであった。
 一軒のホテルへ着いて顔を洗い、町へブラブラ出て見ると、チフリスもそうであったがここもまだ夏の夜である。白いルバーシカ姿の人だかりがある店先へ行って見ると、玉ころがしに似た遊びをやっている。ただ遊んでいるのではなく確かにこの町では公然と許されている賭け事で、台を囲んでぎっしり坐っている男女の顔は緊張し、ごみっぽい汗ばんだ色をしている。街路は一体に薄暗く、パッと歩道へ光を流して人のかたまっているところはそういう光景なので、モスクワのような都会から来た自分は、妙な気がした。それぞれの共和国の内政は或る程度まで自主的に行われているのであった。
 傍の小さい新聞屋台で、『レーニンの孫』というこの地方のピオニェール新聞を買い、ソヴェト同盟の広さというようなことを強く感じながらホテルの玄関を入り、右手の広間へ通った。瓦斯燈の水っぽい光が、ゴムのような滑らかな大きい葉の…

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