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夜叉のなげき
やしゃのなげき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「あらくれ」1937(昭和12)年11月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-27 / 2014-09-17
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

『文学界』に告知板というところがある。毎号そこにいろいろな作家が短い自由な感想をのせているのであるが、九月号のその雑誌に「新胎」を書かれた舟橋聖一氏も、本月はこの欄に一文をよせておられる。
「新胎」を創作するに当って助力をよせた各方面の専門家の姓名を列挙し、感謝をささげておれる。つづいて自身の病気にふれ、子供さんの病気に心痛顛倒する自身の心持に語り及んでそこへ私の名がひきあわされているので、自然読むと、私が「子供を愛したりするとヒューマニズムの線が下向する」と云っているとのことが書かれてある。それに反対の心持として氏は「子供を愛することさえ出来なくて何のヒューマニズムぞやと云いたい。子供を愛することゝ、ヒューマニズムとが牴触することは、僕には考えられない」と書いておられるのである。
 実際には私が何をどのように云っていたのかということから切りはなして、氏のこの文章ばかりを読むと、一応は全くあたりまえのようなことをことあらためて舟橋氏がとりあげておられることから、却って読者の疑問はよびさまされると思う。私という女は夜叉なのであろうか? 子供が可愛いという一般的な日常の感情さえ味うことの出来ない、何かの餓鬼なのであろうか?
 舟橋氏は、私が先頃報知新聞に九月の創作についての感想をかいた中で、「新胎」のテーマが含んでいる歴史的な方向、氏によって嘗て提唱された能動精神のその後の消長等に対する疑義をこの作品の内部に見たことを念頭において、告知板の文章を書いておられるのである。
 ある文学的雰囲気というようなものや、そこの中でののびのびとした気分というようなものから、氏が私の書いた文章をどのようによまれようとも、それは氏の自由であると思う。それはよまれるように読まれるしか仕方がない。ああこのようにも読まれるものかと、筆者は打ち見やる態度でいいのであろう。けれども、舟橋氏が告知板にかかれた文章そのものが、短い表現であるがそのものとして、私たちに一つの課題を呈出していると思う。その点をここで触れて見たい。
 舟橋氏は子供を愛することと、ヒューマニズムとは牴触しない、ヒューマニズムのはじまりは子供を愛すことから発足するようにも云われているのだけれども、今日の私たちの生きている社会の現実を少くとも作家の目で見まわして、単純に子供を愛すこととヒューマニズムとは牴触しないと果して云い切れるものであろうか。
 舟橋氏自身の子供さんに対する心持の内側からだけものを云えば、もとより現在のところ、この二つのものは牴触していないのであろう。愛される子供の側からの愛されかたに対する注文が出ていず、氏として自身の愛情や質や発露に何の疑いも抱かれないでいる限り。然し、芸術の問題、芸術家の生きてゆく態度としてのヒューマニズムが現代の問題として存在するのは、例えば、一口に子供を愛すという、その日常感情…

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