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生産文学の問題
せいさんぶんがくのもんだい
作品ID2801
副題文学に求められているもの
ぶんがくにもとめられているもの
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「帝国大学新聞」1939(昭和14)年4月17日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-13 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文学とは何であろうか。そういう問いは私たちの日常生活の裡で、極めて変化の多い形や感情をとってあらわれて来ていると思う。問いが原形のままに感じられることもあり、現在ある文学作品に対する肯定、否定の態度でそれが示されることもあり、時には作家と読者との微妙な組み合わせの姿で、一般が或る作品から他の或る作品へと何か満たされぬ心をもってさがし求めている有様として、文学とは何であろうかという問が現出している場合もある。
 最近の三四年の生活を顧ると様々の転形に於てその問いは激しく人々の心に在って、而もそれに対する答えは、形の上で矢つぎ早に提示されつつ、しんのところではいかにも尻切とんぼに終って来ている気がする。そのために、近頃では益々、文学とは何であろうかという心持が目醒まされ、文学らしい文学に対する飢渇の感覚が一般にひろまって来た。ところで、昨今感じられているその飢渇感には、僅か二、三年前には知られなかった生活的な諸経験がたたみこまれているから、文学とは何であろうかという思いも、一層沈潜して強く流れかかっているのは注目すべきであると思う。

 この一年二年は、時間だけで計られない内容をもって社会生活が変転した。変転する社会の相貌に応じて、文学の分野の謂わばモードも転々したのであるが、今日ではそのような文学の形をとった上波が、つまりは文学というより寧ろ文学によって扱われるべき世相の一つの姿であって、文学とはその様な人間関係の、心理の、何か一皮むいたもの、何か見抜いたところのあるもの、人間として我々の生きつつある真実のうちにひそめられている感動にふれて来るものとして、求められ始めている。人生を語るもの、知らしめるものとして文学が求められて来ている日々がこのようにして迎えられ送られている。その真の姿を確りと見直したい心が文学へ真面目な眼差しを向けようとしている。そこでは、矛盾の諸相も現実のものとしておそれられていない。島木健作氏の「生活の探求」に向けられて行った時代のやや素朴であった一般の人生的な良心も、その点では今日の現実によって成長させられていると思われるのである。
 あの作品は、今日に到る日常生活の雰囲気の急転の初めの時期、客観的にも正しいと納得することの出来る生活の基準を模索していた一般の心理が、作者の或る意味での敏感な社会性に反映して生れた作品であった。作品の題名にも現れている作者の体勢が、人々をその内容に向っての興味、期待にひきつけたのであったと思う。生活の在りように対する関心では、この作品と読者の良心とが同一面に顔を合わせているかのようであって実は決してそうでないものが、「生活の探求」の底に埋められてあった。

 あの作品の主題は主人公駿介にとって最も必然的であるべき事物のありよう、その事情に従っての現実的な心持の動きかたという発端が、先ず一ねじりされたもの…

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