えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

乳色の靄
ちちいろのもや
作品ID2845
著者葉山 嘉樹
文字遣い新字新仮名
底本 「日本プロレタリア文学集・8 葉山嘉樹集」 新日本出版社
1984(昭和59)年8月25日
初出「新潮」1926(大正15)年12月号
入力者林幸雄
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-02-24 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

 四十年来の暑さだ、と、中央気象台では発表した。四十年に一度の暑さの中を政界の巨星連が右往左往した。
 スペインや、イタリーでは、ナポレオンの方を向いて、政界が退進した。
 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げられた、胃袋の形をしたフェットがあった。
 時代は賑かであった。新聞は眩しいほど、それ等の事を並べたてた。
 それは、富士山の頂上を、ケシ飛んで行く雲の行き来であった。
 麓の方、巷や、農村では、四十年来の暑さの中に、人々は死んだり、殺したり、殺されたりした。
 空気はムンムンして、人々は天ぷらの油煙を吸い込んでいた。
 一方には、一方の事は、全で無関係であった。勝手に雲が飛び、勝手に油虫どもが這い廻っているようであった。
 人々は、眼を上げて、世界の出来事を見ると、地獄と極楽との絵を重ねて見るような、混沌さを覚えた。が、眼を、自分の生活に向けると、何しろ暑くて、生活が苦しくて、やり切れなかった。
 その、四十年目の暑さに、地球がうだって、鮒共が総て目を白くして浮び上ったと思うことは、それは間違いであった。どこにでも避暑地と云うものがあった。日本には軽井沢があり、印度にはダージーリンがあり、アメリカには、ロッキーがあった。
「人間どもは、何だって、暑い暑いとぬかしながら、暑い処にコビリついているんだ。みんな足をとられてやがる。女房子に足をとられたり、ガツガツした胃袋に足をとられたり、そう云う、俺だって、ざまあねえや、今まで足をとられていたじゃねえか。俺のは、鎖がひっからまって! 動きがとれなかったんだ。そこへ持って来て、手を縛って、梁へ吊しやがったな。おまけに竹刀でバシバシと、すこたんを遠慮なしに打ん殴りやがったっけ。ああなると意気地のねえもんだて、息がつけねえんだからな。フー、だが、全く暑いよ」
 彼は、待合室から、駅前の広場を眺めた。
 陽光がやけに鋭く、砂利を焙った。その上を自動車や、電車や、人間などが、焙烙の上の黒豆のように、パチパチと転げ廻った。
「堪らねえなあ」
 彼は、窓から外を見続けていた。
「キョロキョロしちゃいけない。後ろ頭だけなら、誰って怪しみはしないさ。キョロキョロしてはいけねえ。眼が打っ突る! 眼が打っ突ると、直ぐに次へ眼を移す。いけねえ、ひとりでにキョロキョロするようになる。五六人は、旦那衆がいるからな。ヘン。俺には分ってるんだよ。お前さんたちがどんなに田舎者見てえな恰好をしてたって、番頭に化けたって、腰弁に化けて居たって、第一、おめえさんなんぞ、上はアルパカだが、ズボンがいけねえよ。晒しでもねえ、木綿の官品のズボンじゃねえか。第一、今時、腰弁だって、黒の深ゴムを履きゃしねえよ。そりゃ刑務所出来の靴さ。それからな、お前さんは、番頭さんにゃ見えねえよ。金張りの素通しの眼鏡なんか、留置場でエンコの連中をおどかすだけの向だ…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko