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御萩と七種粥
おはぎとななくさがゆ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第33巻」 小学館
1989(平成元)年10月1日
入力者林幸雄
校正者本山智子
公開 / 更新2001-05-01 / 2014-09-17
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私の父方の祖父才一郎が嘉永五年七月一日、僅か六畳一間の栗林家の門部屋で病死した時――栗林家の次男坊に生れた才一郎は、この時すでに河上家の養子となっていたが、養家の瀬兵衛夫婦がまだ生きていた為めに、ずっと栗林家の門部屋で生活していたのである、――彼の残した遺族は三人、うち長男の源介(即ち私の父)は五歳、長女アサ(即ち私の叔母)は三歳、妻イハ(即ち私の祖母)は二十五歳であった。これより十数年にわたり、私の祖母のためには、日夜骨身を惜まざる勤労努力の歳月が続いた。が、その甲斐あって、慶応三年という頃になると、長男源介は、すでに二十歳に達して禄十九石を食む一人前の武士となり、長女アサも十八歳の娘盛りになった。
 かくて、私のために叔母に当るアサは、この年にめでたく藤村家に嫁いだ。残っている私の家の願書控を見ると、次のようなのがある。
 「私妹此度藤村十兵衛世倅規矩太郎妻に所望御座候に付、応二真意一取組の内約仕置候間、其儀被二差免一被レ下候様奉レ願候、此段御組頭兼重重次郎兵衛殿へ被二仰入一、願之通り被二成下一候様、宜敷御取持可レ被レ下候頼存候、已上。
 慶応三年丁卯四月十一日  河上源介」
 この控には、「四月二十七日被下被差免候」との追記がある。
 叔母には子が出来なかった。そして、どういう事情からであったか、明治十年十月七日、彼女は藤村家から離縁になって家に帰った。その時二十八歳である。
 しかし二ヶ月後の明治十一年一月五日には、玉井進という人の妻になった。この人は当時山口県庁の役人をしていた人で、叔母もまた山口に行った。
 叔母が玉井家に嫁いだ明治十一年には、私の父もすでに三十一歳になっていたが、この年の六月十五日に初めて、同族河上又三郎の次女タヅと結婚した。それが私の母で、文久二年八月誕生の彼女は、当時十七歳、正確に云えば満十五歳十ヶ月であった。
 私が生れたのは、その翌年の十月二十日である。従って以上の出来事は、みな私の見ることの出来なかった事実に属する。
 しかし叔母に関する私の最初の記憶は、後に述べるような事情から、彼女が藤村家に居た時代にまで遡る。私は幼い頃、祖母に連れられて、幾度か叔母の許を訪ねた。
 私の家は錦川に沿うて造られた土手に近かった。その土手の上を暫く城山の方に向って歩いてゆくと、渡場があった。舟に乗せて貰って向うへ渡ると、そこが川西と称される地帯で、叔母のうちは、その川西の山手にあった。川を渡ってから暫く街道を歩き、それから路地を右手に曲ると、そこは城山の峯尾の麓になるので、次第に急な爪先き上がりの坂道になる。こんもりと森の繁った薄暗いジメジメした坂を登って行くと、路の右側は深く掘れた細い横谷になっていて、谷底にはきれいな水が流れていた。叔母の家は、路の左側にあった。私はそこの二階で本を見せて貰ったことを覚えている。今では幼児のための…

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