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乞食学生
こじきがくせい
作品ID285
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日
初出「若草」1940(昭和15)年7~12月
入力者柴田卓治
校正者小林繁雄
公開 / 更新2000-02-10 / 2014-09-17
長さの目安約 69 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

大貧に、大正義、望むべからず
      ――フランソワ・ヴィヨン



       第一回

 一つの作品を、ひどく恥ずかしく思いながらも、この世の中に生きてゆく義務として、雑誌社に送ってしまった後の、作家の苦悶に就いては、聡明な諸君にも、あまり、おわかりになっていない筈である。その原稿在中の重い封筒を、うむと決意して、投函する。ポストの底に、ことり、と幽かな音がする。それっきりである。まずい作品であったのだ。表面は、どうにか気取って正直の身振りを示しながらも、その底には卑屈な妥協の汚い虫が、うじゃうじゃ住んでいるのが自分にもよく判って、やりきれない作品であったのだ。それに、あの、甘ったれた、女の描写。わあと叫んで、そこらをくるくると走り狂いたいほど、恥ずかしい。下手くそなのだ。私には、まるで作家の資格が無いのだ。無智なのだ。私には、深い思索が何も無い。ひらめく直感が何も無い。十九世紀の、巴里の文人たちの間に、愚鈍の作家を「天候居士」と呼んで唾棄する習慣が在ったという。その気の毒な、愚かな作家は、私同様に、サロンに於て気のきいた会話が何一つ出来ず、ただ、ひたすらに、昨今の天候に就いてのみ語っている、という意味なのであろうが、いかさま、頭のわるい愚物の話題は、精一ぱいのところで、そんなものらしい。何も言えない。私の、たったいま投函したばかりの作品も、まず、そんなところだ。昨日雪降る。実に、どうにも、驚きました。どうにも、その、驚いたです。雨戸をあけたら、こう、その、まあ一種の、銀世界、とでも、等と汗を拭き拭き申し上げるのであるが、一種も二種もない、実に、愚劣な意見である。どもってばかりいて、颯爽たる断案が何一つ、出て来ない。私とて、恥を知る男子である。ままになる事なら、その下手くその作品を破り捨て、飄然どこか山の中にでも雲隠れしたいものだ、と思うのである。けれども、小心卑屈の私には、それが出来ない。きょう、この作品を雑誌社に送らなければ、私は編輯者に嘘をついたことになる。私は、きょうまでには必ずお送り致します、といやに明確にお約束してしまっているのである。編輯者は、私のこんな下手な作品に対しても、わざわざペエジを空けて置いて、今か今かと、その到来を待ってくれているのである。私はそれを知っているので、いかに愚劣な作品と雖も、みだりにそれを破棄することが出来ない。義務の遂行と言えば、聞えもいいが、そうではない。小心非力の私は、ただ唯、編輯者の腕力を恐れているのである。約束を破ったからには、私は、ぶん殴られても仕方が無いのだと思えば、生きた心地もせず、もはや芸術家としての誇りも何もふっ飛んで、目をつぶって、その醜態の作品を投函してしまうのである。よほど意気地の無い男である。投函してしまえば、それっきりである。いかに悔いても、及ばない。原稿は、そのままするすると編…

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