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近頃の感想
ちかごろのかんそう
作品ID2854
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日
初出「文芸評論」1934(昭和9)年10月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-02-09 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 考えて見ると、私は今日まで作家として相当長い仕事の間に、自分の作品または生活について書かれるいろいろな批評などに対して、文章をもって答えたことは、ごく稀であった。
 自分としてその批評に賛成であった場合も不賛成であった場合も、多く黙っていた。
 それには、後でのべようと思う一二の理由があったのであるが、この頃、私は従来までの自分のそういう態度についていささか考え直すようになって来た。
 その間接の原因となるものは、一昨年の末から去年にかけてプロレタリア作家の間を荒した批評嫌悪症のさまざまの要因が、今はプロレタリア文学運動の歴史の鏡に照らされて相当はっきり私にも見えて来たことと、そこから汲みとったいろいろの教訓をもって今日自分のまわりを見まわすと、おのずから自分の態度についても考えが新にされる点があるからである。
「批評などというものは、作家を大して育てる役には立たない。」そういうことは昔から、ブルジョア作家によっていわれた。ひとの書いたものを、後からいいとか悪いとかいうことはたやすいことだ。そんなら自分で書いて見ろ。もっとも卑俗なわるい場合はその程度にまで行った。
 プロレタリア作家の間で一時同じようなことがいわれるようになったのには、また別の理由があったと思う。今日の発展段階に立って過去の作家同盟の活動を振りかえった時、すべての人が認めざるを得ないある規範主義が、作品批評の場合にも現れた。
 それに対してプロレタリア作家の大部分が、それぞれ自身の発展的傾向、あるいは消極的な傾向にしたがって、その規範主義に反撥した。ところが、その批評の規範主義に対する反撥は、複雑な関係で当時の作家同盟という組織への反撥をふくむものであったので、反撥の表現は、自然ひどく個人的な形態をとり、かつ感情的であった。その頃「やっつけ主義」の批評という言葉がはやった。そんな「やっつけ主義」で作家を萎縮させる批評なんぞ蹴とばせ! 作家は何でも作品を書けばいいんだ。そういう声がブルジョア文壇で叫ばれていた「文芸復興」の呼び声に呼応してさかんにこだました。
 その時分、私の書いた「一連の非プロレタリア的作品」という作品批評と感想とをとりまぜた論文めいたものが、その「やっつけ主義」批評ののろうべき見本であるかのように、紙つぶてをなげつけられた。
 今、その時分のことを思い起すと、私は実にしんしんたる興味を覚える。当時の情勢を背景としてついにもだすにたえなかった非力な私自身の姿や、また、自身のプロレタリア作家としての階級的な不安や動揺のすべてを私に対する罵倒の中で燃しつくそうとでもするような熱烈さでかたまり飛びかかって来た人々の心持が、きょうになってまざまざと理解される。
 発展する階級の複雑多岐な歴史とのつながりにおいて、自分をふくむこれら一団の作家群のなまなましい行状記を眺め直すと、私はあ…

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