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不満と希望
ふまんときぼう
副題男性作家の描く女性について(『読売新聞』記者との一問一答)
だんせいさっかのえがくじょせいについて(『よみうりしんぶん』きしゃとのいちもんいっとう)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日
初出「読売新聞」1935(昭和10)年1月20、22日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-02-15 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

問「男の作家に女性が書けるか書けないかというのは小説が書けるか書けないかというのと同じ愚問ですが、書けているとか、書けていないということはいえると思います。で女流作家の立場から男の作家の女性描写を検討していただきたいのです」
答「文学の上でネ、女を男の作家が書くとか書かないということは大づかみにいえばネ、その作家がどの程度まで現実的な人間を書けるかという問題になるでしょうから、その点だけいえばネ、それぞれの作家が生きていた時代やその作家の持っていた可能性をの範囲でネ、過去のすぐれた作家、現在の優秀な作家はネ、女をそれぞれに書いていると思います。たとえばトルストイが『アンナ・カレーニナ』を書き、『戦争と平和』の中でナターシャとかアンドレー公夫人とか、それから公爵令嬢マリアなどを、あんなにいきいき書けたことはすでに知れわたっていることだし、ロマン・ローランは『ジャン・クリストフ』の中で非常に感覚的にまで立ち入って幾つかの面白いタイプを書いているし、ジイドなどもやはり女はよく書いていると思うんですネ。夏目漱石なんかは『三四郎』やその他の小説の中で明治時代のインテリゲンチアの女のあるタイプを書いていると思うし、現代の作家では谷崎さんも女はさまざまの型で書いていますネ。しかしどうもネ、女の作家の気持からいうとネ、まだまだ充分満足するように書かれているとはいえないで、やっぱりまだ自分たちが書かねばならぬ残されているものがあると常に考えるのはおそらく私一人ではないだろうと思いますネ。正宗白鳥さんが、女は女を十分描いていないといわれたことがあり、室生さんだったか、何かの文の中に、自分は女を非常によく書きたいと希望を洩らしていた覚えもあり、菊池寛さん、山本有三氏は現代の女の化粧とか言葉づかいの描写から進んでタイプにまで迫ろうとしていることはよくわかります。しかも不満が残るのはなぜでしょう。
 そのことについていつか友達が二三人集って笑いながら話したことでしたがネ、どうも大体、男の作家は女を描く場合、自分にとってというより、男にとって都合のよいように、面白いように、あるいは愛し得るように、軽蔑できるように書いているのであって、どういう意味ででもあんまり男に都合の悪い女は書かれていないようだ。ところが実際われわれの生活のさまざまの葛藤、情熱というものをつきつめて行くと、現在の日本のような社会の中では現在あるままの社会生活で女との関係を考えている男の人たちにとって、あんまり都合よくないようなものが、案外いきいきした、つまり歴史を前に押し出すような性質を持った女の感情であり、行為である場合が多いので、困ったものだネ、と笑ったことです」
問「男の作家に書けないといった点は、たとえばどんな点でしょうか」
答「女を書く書かぬということも究極は抽象化された女というものはない訳ですから、この点…

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