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女流作家多難
じょりゅうさっかたなん
副題創作上の諸問題
そうさくじょうのしょもんだい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日
初出「読売新聞」1936(昭和11)年7月28日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-02-19 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 どうもこれは大へん難しいおたずねだと思われますね。こういう質問を受けて、私が返答に困るのは、いってみれば、今のような世の中での生活は重荷がベタ押しで、取り出して見れば経済的な重荷、女として経験しつつある重荷、および作家として文学的に感じている責任から来る重荷、こういうようなものは普通のことですからね。
 私なんかの生活の気分ではこれらの重荷を重荷として自分が押しつけられてしまわないように、自分として一番正しいと思われる方法で、それらの重荷をくくって肩へになって、になったままえいえいと歩いているような状態です。よく作家活動に関して昨今のような世の中で不安や動揺や憂鬱を感じないのは鈍感だといわれる言葉を聞いたりしますけれど、私の正直な感想はそういう言葉そのものがかえってある鈍感さを示している気がしますね。苦しいとか、重荷があるというのは、こんにちではいわずと判ったことで、問題はむしろそれらの重荷の意味、性質を理解すること、それを歴史の発展の方向にそって処理してゆくことが生活の日常の問題で、憂鬱だとか、不安だとか、坐っていっているひまがある、そのことが実はそうひどい重荷を背負わされていないということになるのではないかと思われる点もあります。
 こう話すと大へん抽象的な答えであって、少し冗談をいえば、私に生れつきもうちょっと気のきいたジャーナリスティックな答を思いつく気質のないようなところが重荷の一つであるようなものですが、考えてみるとなかなか面白いと思う。つまり私のように重荷として考えてみれば実際日常すべての面に重荷を負っている者が、その荷の現実的な性質とその必然性を自分なりに理解していることで、心持の上では、刻々重荷とは感じないで生きているということ、そういう人間の生活に対する力というものは面白いものであると思う次第です。
 いつぞや窪川稲子が『婦人文芸』に現代の婦人作家が社会生活の点から負うている重荷のことについて書いていたことがありますが、実際、今日の社会で女としての生活、婦人作家としての生活をふたつながら立派に打ちたててゆくということは非常な努力のいることであります。
 芸術的創作というものはただ自分の負うている重荷を重荷としてだけ感じたところで、それは芸術品として創りあげられるものではなくて、やっぱり広い目から自身の重荷の本質を見きわめてはじめてそれを作品化することができる。だからさまざまな点で大きい意味のある社会的な経験をへたとしても、その婦人に十分の把握力がなければ作品としてそれだけの客観的価値を持つことが困難になってきます。
 このことは私どもが自身の問題としてしばしば経験していることであるし、また、昨年のうちに発表された野上彌生子さんの「小鬼の歌」という作品などは、その点について大きな警告を婦人作家に向ってあたえたものといえると思います。婦人作…

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