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含蓄ある歳月
がんちくあるさいげつ
作品ID2887
副題野上弥生子さんへの手紙
のがみやえこさんへのてがみ
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日
初出「帝国大学新聞」1936(昭和11)年12月21日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-02-27 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 初めてあなたのお書きになるものを読んだのは、昔、読売新聞にあなたが「二人の小さいヴァガボンド」という小説を発表なさったときであり、その頃私は女学校の上級生で、きわめて粗雑ながら子供の心理の輪廓などを教わっていた時分のことでした。もうそれからでも、ざっと二十年は経ちます。そして、あの当時にあっては大変ハイカラーで欧州風の教養の匂いの高かった作品の中で、母なる作者の愛情と観察につつまれつつ活躍していた二人のヴァガボンドのうち、一人は言語学者としてイタリーへの交換学生として旅立っており、一人はもう若い物理学者として、この新聞を読むであろう学生の一部の人々を指導しているという今日の有様です。
 本年のはじめ、私が特別な非人間的生活を強いられていた間に、漱石全集をよみました。寒い寒い板のような空気の中で、手は懐手が出来るが耳は懐へしまえないから霜やけをかゆがりながら、その日記の部分をみていたら、私にとってまことに興味ある一文に出会いました。
 それは、明治四十二年三月二十日の日記です。漱石は「二葉亭露西亜で結核になる。帰国の承諾を得た所経過宜しからず入院の由を聞く。気の毒千万也。大阪朝日十万円で社を新築すと素川よりきく。妻が寅彦の所へ餞別をもつて行く。シャツ、ヅボン下、鰻の罐詰、茶、海苔等なり。電話にて春陽堂へ『文学論評』の送付(例により三十部)を促がす。売切の由答あり。二十五六日頃再版出来のよし」などと文化史的な興味深い記述の最後に「八重子『鳩公の話』といふ小説をよこす。出来よろし。虚子に送附」と書かれている。
 ホトトギスに、その小説は掲載されたのであったでしょう。発信というところに、八重子とあるから、そういう点では責任をはっきりさせる性質であった漱石は、その日のうちに返事や原稿の所置について手紙を書いたものと思われます。
 この「鳩公の話」は、あなたの作品年表にとって、どの時期に属すものでしょう。所謂処女作と呼ばれてよいものなのでしょうか。この作品の書かれた時から数えれば、既に二十七年間に及ぶ作家生活の閲歴が「黒い行列」の背後に横わっていることを私達は知ります。

 このように時間の推移を逆にさかのぼって、今日あるあなたという一人の婦人作家の性質を考えて見ると、私達は、あなたに現在の、ある若さというものの価値を深く感じます。何故なら、作家野上彌生子の年齢的同時代としては、谷崎潤一郎だの平塚らいてうだの、僅六歳の年長者として永井荷風等があり、それらの人々の生活内容と作品とは、あなたとは全く別様のものです。あなたのように若いジェネレーションの息吹きがその作品の内に照りかえしてはいないのです。
 いつだったか「若い息子」が発表された後の頃であったが、あなたはごく寛ろいだ雑談の間で、こういう意味のことを云われたことがありました。世間のひとはあの作品を見て、私が飛躍でも…

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