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昭和十五年度の文学様相
しょうわじゅうごねんどのぶんがくようそう
作品ID2905
副題現代文学の多難性
げんだいぶんがくのたなんせい
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十二巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日
初出「早稲田大学新聞」1940(昭和15)年12月18日号
入力者柴田卓治
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-04-11 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今年の文学ということについて大略の印象をまとめようとすると、一つの特徴的な様相がそこに浮んで来るように思う。
 それは作品と作家との間に生じた問題とも云える種類のものである。私たちが偏らない心で今年の文学を思いかえしたとき法外・格外の傑作、問題作、前進的作品というものは作品活動一般についてなかったと判断するにかかわらず、作家たちの動きは特に今年の後半に到って夥しく、両者の間の動きの形は、作品がその自然の重さで水平動しているところへ作家の動きは上下動的であって、作品と作家との動きの間に見のがすことの出来ない一つの開き、角度が現れて来ていることだと思う。そしてこの二つの動きの間に計らずも現出している開き或は角度が来年の文学の成長にとって案外深い連関をもつ性質をふくんでいるのではないかと考えられる。
 現代文学のこれまでの動きの様々の時期をかえりみると、それ等の文学的エポークには、それぞれに動いた作家が、自身の動きの激しさと性格とを作品に出して先ずそこで動きがおのずから表明されて来ていた。ネオ・ロマンティシズムという名は、谷崎潤一郎の「刺青」という作品に絡めて以外に私たちに与えられていない。文学において、作者の動きは、いつも作家が作品を体につけて躍び上るなり舞い下るなりしていた。日本における自然主義の消長として荷風の社会批評精神の舞い下りは「嘲笑」ぬきで語れないし、宇野浩二の新しい文学の世代としての第一歩の飛躍は「蔵の中」ぬきに云うことが出来ない。従って、その体に作品をからみつけて、或は腹の中に蠢く作品の世界にうながされて体を動かさざるを得なかったこれまでの作家の動きは、作品と作家の動きとの間に必然の統一が保たれていて、作家が動くということはとりも直さず文学が新しい自身の動きを経験するという現実をもたらしたのであった。
 ところが、一九四〇年という年になって作家の動きと作品の動きとの関係は、非常に特殊な分裂を示した。作品はその自からなる生成の密度で比重が重く沈澱して左右水平の動きを示している上で、作家が体一つで上下動的運動を示し、とび上ったり落ちたり、そのことの重さで益々作品は平たくおしつぶしてゆくような奇妙な姿が現れた。
 或る種の作家にとっては一人の人の現実の上にこの動きの分裂が顕著であるし、今日の文学全般を瞰れば、客観的に一つの目立つ現象として作家と作品との関係について語るべき点となって来ている。
 今年のしめくくりとして考察するなら、私たちは慎重に、この上下動と水平動との間にある角度の本質を見きわめなければならないのではあるまいか。
 そこに或る開き、殆ど直角の開きが存在するということを視るだけでは不足と思う。二つの運動の間で揉まれひしゃげたのは外ならぬ文学であり、自分との真の統一で作品を生むことで動いて行こうとする作家の、年齢や経験にかかわらない歴史的…

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