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ルポルタージュの読後感
ルポルタージュのどくごかん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十二巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年4月20日
初出「女子文苑」1941(昭和16)年5月号
入力者柴田卓治
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-04-20 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今月、私のところへ送られて来た原稿は全部で十篇でありましたが、その殆どが、働いている女性の生活記録であり、さもなければ外に出て働いていなくても家庭で無くてはならない人として暮している女性たちの文章でした。
 熱心に書かれていると思いましたが、やはりまだルポルタージュというものと感想文というものとの区別が、書いている方自身にはっきりつかめていないのが半数を占めたのは残念です。
 報告文学(ルポルタージュ)と感想文との根本的なちがいは、次のようなところにあると思います。報告文学というものは、ここに一人の人があって、その人が経験し見聞した事実、事件、問題などを具体的にそれがあったとおり記述してゆきながら、その記述をとおして書いている人がその事実なり事件なりの意味をどうつかんでいるかということも読者に感じさせてゆく書きかたです。
 感想文の方は、感想というものがある一日に起ったある一つの事から誘い出されることもあるけれども、又、いつとはなし日々の生活の間から心にためられて、どの日のどのことという具体的な条件にかかわらず、その心持としてそれだけ書き綴られて行ってよいものです。従って、報告に比べれば文学の様式として心持が抽象して扱われる場合が多いのです。
 若い女性たちが、ものを書きたくて書いてゆく自然の動機には、きっとこの二つの形のちがいがはっきりしないまま、ただ表現したい、心を語りたい欲望として感じられるまま書かれる場合が多いのでしょう。
 そういう心持への理解と共感とは、特に書いているのが女性たちである場合私たちの心に生きているのです、が文学において様式の差別をみとめて、小説と小品文とのちがいを知っているとすれば、やはり感想文と報告文学とのちがう点をわきまえてゆくことも一つの成長であろうと考えます。本当の報告文学が若い女性によって一つでも多く書かれるようになれば、とりも直さずそれだけ若い女性の生活態度も社会的な眼をひろめ、識別をひろめたことになるのだと思います。ルポルタージュと感想文とのちがいをもう一度改めて考えて行くのに役立つように今月は原稿を整理して行って見ます。
  一、職場の日記  牧美耶子
 これが送られた原稿の中では一番報告文学に近づいたものです。この筆者が、過去二年の間に段々うつりかわって今日に到った働く人たちの食物の状態について、もっと深い注意を向けて書いて見たら、きっと立派な記録が出来ただろうと思います。これからでもいいから、試みられることをすすめます。たとえば、これから半年の間に、どんな食物がどんなに増したり減ったり調理を工夫されたか、よろこんで食べられたか或はそうでないかということを注意して見るのです。「お昼は栄養を考慮したお菜ですが近頃では国策に応じて代用食や節米料理が多いようです」とだけかかれている部分に、実際どんなものが食べられている…

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