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めくら草紙
めくらぞうし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集1」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年8月30日
初出「新潮」1936(昭和11)年1月号
入力者柴田卓治
校正者鈴木伸吾
公開 / 更新1999-08-01 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

なんにも書くな。なんにも読むな。なんにも思うな。ただ、生きて在れ!



 太古のすがた、そのままの蒼空。みんなも、この蒼空にだまされぬがいい。これほど人間に酷薄なすがたがないのだ。おまえは、私に一箇の銅貨をさえ与えたことがなかった。おれは死ぬるともおまえを拝まぬ。歯をみがき、洗顔し、そのつぎに縁側の籐椅子に寝て、家人の洗濯の様をだまって見ていた。盥の水が、庭のくろ土にこぼれ、流れる。音もなく這い流れるのだ。水到りて渠成る。このような小説があったなら、千年万年たっても、生きて居る。人工の極致と私は呼ぶ。
 鋭い眼をした主人公が、銀座へ出て片手あげて円タクを呼びとめるところから話がはじまり、しかもその主人公は高まいなる理想を持ち、その理想ゆえに艱難辛苦をつぶさに嘗め、その恥じるところなき阿修羅のすがたが、百千の読者の心に迫るのだ。そうして、その小説にはゆるぎなき首尾が完備してあって、――私もまた、そのような、小説らしい小説を書こうとしていた。私の中学時代からの一友人が、このごろ、洋装の細君をもらったのであるが、それは、狐なのである。化けているのだ。私にはそれがよくわかっているのだけれども、どうも、可哀想で直接には言えないのだ。狐は、その友人を好いているのだもの。けだものに魅こまれた友人は、私の気のせいか、一日一日と痩せてゆくようである。私は、そしらぬふりして首尾のまったく一貫した小説に仕立ててやり、その友人にそれとなく知らせてやったほうがよいのかもしれぬ。その友人は、「人生四十から。」という本を本棚にかざってあるのを私は見たことがあって、自分の生活を健康と名づけ、ご近所のものたちもまた、その友人を健康であると信じているようである。もし友人が、その小説を読み、「おれは君のあの小説のために救われた。」と言ったなら、私もまた、なかなか、ためになる小説を書いたということにならないだろうか。
 けれども、もう、いやだ。水が、音もなく這い、伸びている様を、いま、この目で、見てしまったから、もう、山師は、いやだ。お小説。百篇の傑作を書いたところで、それが、私に於いて、なんだというのだ。(約三時間。)私は眠っていたのではないのだよ。そうだ。おまえの言葉を借りて言えば、私は、思いにしずんでいたのである。
 私は、枕草紙の、ペエジを繰る。「心ときめきするもの。――雀のこがひ。児あそばする所の前わたりたる。よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見いでたる。云々。」私、自分の言葉を織ってみる。「目にはおぼろ、耳にもさだかならず、掌中に掬すれども、いつとはなしに指股のあひだよりこぼれ失せる様の、誰にも知られぬ秘めに秘めたる、むなしきもの。わざと三円の借銭をかへさざる。(われは貴族の子ゆへ。)ましろき女の裸身よこたはりたる。(生きものの、かなしみの象徴ゆへ。)わが面貌のたぐひなく、…

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