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日本文化とは何ぞや(其二)
にほんぶんかとはなんぞや(そのに)
作品ID2940
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第九卷」 筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日
初出講演、1921(大正10)年
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-10-24 / 2016-04-20
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 もう時間がありませぬので、私が御話申したいと考へました事の眞の骨組だけを、二十分ばかりにザツと御話してしまひたいと思ひます。
 私の申上げます事は「日本文化とは何ぞや」といふのでありますが、先づ茲に日本文化といふものは現在有るときめて掛ります。而してその日本文化の現状はどんなものであるか、現在有るところの文化といふものは、社會組織もあり、文學藝術といふやうなものもある、色々なものがありませう、その現在して居るところの日本文化の中に、日本固有のものがどれだけあるかといふことであります。これは隨分研究の仕方に依つては面倒な事でありまして、餘程議論がある事と思ひますが、併し私は直に結論だけを申上げますが、日本文化の中の日本に起原した所のものを調べ上げると、そんなに大部分なものでないと思ふ。
 極く簡單な例を申しますと、茲に日本文化の古い産物として、例へば萬葉集といふ歌の集がある、それから又源氏物語といふやうな古い日本文で書いた本がある。此等を讀むのと、今日吾々が漢文で書いてある所の論語などを讀むのと、どつちが理解しやすいか。それだけで既に今日の吾々日本人には、日本人の頭に最も解し易く遺つて居るのは、日本固有のものよりかも、東洋一般に通じて居つた支那文化であつたといふことを考へる事が、極めてたやすい事だと思ひます。それが先づザツと現状でありますが、そこで日本文化といふものが、一の儼然として出來上つたものがあると致しまして、それがどうして出來上つたかといふ事が次の問題であります。
 この出來上り方を、例へば動植物が、一の種から、養分を得て、それが段々芽を出して、さうして育つて來たやうにして出來たとも解釋は出來ませう。或は又單に、例へば豆腐が出來るやうに、殆ど豆腐の形が出來上つて居らんで、豆腐になるべき成分があります所へ、そこへにがりを入れると、成分がその爲に寄せられて豆腐の形になるといふやうな出來上り方もありませう。日本文化は、この二種の出來上り方の中、どちらで出來上つたものかといふことが一の問題であらうと思ふ、而もこれが中々むつかしい問題で、私はヒヨツとすると後の方の方法で出來上つたのでないかと思ふのです。日本には、文化の種が出來上つて居つたのでなくして、只文化になるべき成分があつた所へ、他の國の文化の力によつて、段々それが寄せられて來て、遂に日本文化といふ一の形を成したのでないかと思はれるのであります。
 兎も角さういふ風に日本文化といふものが出來上つたと、假に斯うきめますと、それからそれがどういふ順序で出來上つて來たかといふことが次の問題で、日本文化といふものは、日本だけで考へますと、日本中心のやうに考へられます。誰でも自分の居る所を中心と考へることは容易なものであります、むかし太陽系の理論がハッキリ分らなかつた時には、地球が中心だと考へて居りました、それで昔…

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