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明日咲く花
あすさくはな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日
初出「文学新聞」第1号、1946(昭和21)年11月1日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-05-06 / 2014-09-17
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 文学の歴史をみわたすと、本当に新しい意味で婦人が文学の活動に誘い出されて来たのは、いつも、人民の権利がいくらか多くなって、すべての人が自分の考えや感じを表現してよいのだ、という確信を得た時代であった。
 明治はじめの自由民権が叫ばれて、婦人がどしどし男子と等しい教育をうけ、政治演説もし、男女平等をあたり前のことと考えた頃、日本では、木村曙「婦女の鑑」、若松賤子「忘れ形見」などの作品が現れた。若い婦人としてよりよい社会を希望するこころもちとぐるりの生活とのいきさつとを描いた作品である。それ以来樋口一葉をはじめ、明治大正を通じて今日までには幾人か、相当の文学的業績をもつ婦人作家がある。が、日本の民主的な文学の流れは、昭和のはじめ世界の民主主義の前進につれて歴史的に高まり、プロレタリア文学の誕生を見た。その当時、その流れの中からこそ、これまでとちがった勤労婦人の中からの婦人作家が出て来た。佐多稲子、松田解子、平林たい子、藤島まき、壺井栄などがそうである。これらの婦人作家は、みな少女時代から辛苦の多い勤労の生活をして来て、やがて妻となり母となり、本当に女として生きてゆく希望、よろこび、その涙と忍耐とを文学作品に表現しようとして来た人々なのである。
 戦争の永い間、私たちは声を奪われ、文字を奪われた生活を耐えて来た。その黙らされていた日々を、私たちの精神は、何も感じずに生きて来たというのだろうか。
 時が来れば苔にさえ花は咲くものを。あの苦しさ、あの思いを、女として全生活の上に蒙って来た日本の婦人が、今日、これから漸々そのことについて語り、生活のよりよい建設に参加する意志に立つ文学を生み出すことを、どうして期待せずにいられよう。私たちには言葉がある。今その言葉で、真実を語りはじめようとするのである。
〔一九四六年十一月〕



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