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文学と生活
ぶんがくとせいかつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日
初出「入門文学講座 第三巻」新日本文学会、1950(昭和25)年3月
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-05-24 / 2014-09-17
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この講座でわたしの受けもちは「文学と生活」である。この課題は、考えれば考えるほど複雑で規模が大きい。どこからまとめていいかわからないような心持さえする。すべての文学は生活から生れ、生活のうちにかえってそこに生きついてゆく。生活と文学のこの関係は万葉集の時代から今日までつづいている。だから歴史的にみてくると、文学と生活はとりもなおさず階級社会とその文学史のようなものになりかねない。ところでその社会と文学との関係については第二巻で蔵原惟人が「文学と世界観」を書いているし、第四巻では近藤忠義が「日本の古典」を書いている。また同じ第四巻にはいろいろの角度から日本の文学、プロレタリア文学の歴史がとりあげられることになっている。広い意味でいえば、これらの題目はみんな文学と生活の関係を語るものである。
 では、わたしはどういうことから話しだすのが便利な方法だろう。この文学講座第一巻に中野重治が「これから小説をかく人へ」という文章を書いている。これはわかり易く、そしてふれなければならない大事な話もおとしていない。第一巻を読んだ人がつまり第四巻を読むのだろうし、またその逆でもあるわけだろうから、わたしは中野重治がふれているいくつかの点をもう少しつっこんで話してみることにしようと思う。
 中野重治は小説を書こうとするほどの人ならばその人は人生を愛して、人のためにも骨おしみをしない者でなければならないこと――できることは必ずすすんで実行する勇気をもった人であるべきことをいっている。そして小説を書くほどの人は、人類が尊い努力と犠牲によって歴史をおしすすめてきた真理に対して私心なくその価値を認めて、人々とともにその人間の知慧の成果を分けもつことを心からよろこべる人であるはず、とも云っている。文学と生活との関係については、これらが本当にかなめなところだと思う。
 戦争中日本のわたしたちが軍国主義一点ばりの権力によって、どんな日々を送りどんな死にかたをさせられ、きょうの生活にいたっているかということをふかく思えば、この四年間、日本の人民が「人間として生きる権利」をとり戻すために各方面に骨を折ってきた意義は実に大きい。けれども一九四九年には吉田内閣が議会で絶対多数の勢をかりて、旧い支配階級の勢力をもりかえし、人民がこの社会をもう少しは人間らしく、平和で安心して、住みよいところにしたいと思って試みるあれやこれやの努力を抑圧するために数々の法律や規則をつくった。日本の民主化は非常にジグザグなコースをとって根気づよく、人民の力によって行われなければならない内外の事情におかれている。文学もこの事実からきりはなして語られることではない。
 文学が人間生活に対する理解と共感とにたつ愛と努力の社会的な行為だということはあきらかだとして、人間を愛するということ、人生をまじめに受けとって歴史とともに自分も…

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