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納豆合戦
なっとうかっせん
作品ID3033
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「赤い鳥傑作集」 新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年6月25日、1954(昭和29)年9月10日29版改版
初出「赤い鳥」1919(大正8)年9月号
入力者林幸雄
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2005-08-07 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 皆さん、あなた方は、納豆売の声を、聞いたことがありますか。朝寝坊をしないで、早くから眼をさましておられると、朝の六時か七時頃、冬ならば、まだお日様が出ていない薄暗い時分から、
「なっと、なっとう!」と、あわれっぽい節を付けて、売りに来る声を聞くでしょう。もっとも、納豆売は、田舎には余りいないようですから、田舎に住んでいる方は、まだお聞きになったことがないかも知れませんが、東京の町々では毎朝納豆売が、一人や二人は、きっとやって来ます。
 私は、どちらかといえば、寝坊ですが、それでも、時々朝まだ暗いうちに、床の中で、眼をさましていると、
「なっと、なっとう!」と、いうあわれっぽい女の納豆売の声を、よく聞きます。
 私は、「なっと、なっとう!」という声を聞く度に、私がまだ小学校へ行っていた頃に、納豆売のお婆さんに、いたずらをしたことを思い出すのです。それを、思い出す度に、私は恥しいと思います。悪いことをしたもんだと後悔します。私は、今そのお話をしようと思います。
 私が、まだ十一二の時、私の家は小石川の武島町にありました。そして小石川の伝通院のそばにある、礫川学校へ通っていました。私が、近所のお友達四五人と、礫川学校へ行く道で、毎朝納豆売の盲目のお婆さんに逢いました。もう、六十を越しているお婆さんでした。貧乏なお婆さんと見え、冬もボロボロの袷を重ねて、足袋もはいていないような、可哀そうな姿をしておりました。そして、納豆の苞を、二三十持ちながら、あわれな声で、
「なっと、なっとう!」と、呼びながら売り歩いているのです。杖を突いて、ヨボヨボ歩いている可哀そうな姿を見ると、大抵の家では買ってやるようでありました。
 私達は初めのうちは、このお婆さんと擦れ違っても、誰もお婆さんのことなどはかまいませんでしたが、ある日のことです。私達の仲間で、悪戯の大将と言われる豆腐屋の吉公という子が、向うからヨボヨボと歩いて来る、納豆売りのお婆さんの姿を見ると、私達の方を向いて、
「おい、俺がお婆さんに、いたずらをするから、見ておいで。」と言うのです。
 私達はよせばよいのにと思いましたが、何しろ、十一二という悪戯盛りですから、一体吉公がどんな悪戯をするのか見ていたいという心持もあって、だまって吉公の後からついて行きました。
 すると吉公はお婆さんの傍へつかつかと進んで行って、
「おい、お婆さん、納豆をおくれ。」と言いました。すると、お婆さんは口をもぐもぐさせながら、
「一銭の苞ですか、二銭の苞ですか。」と言いました。
「一銭のだい!」と吉公は叱るように言いました。お婆さんがおずおずと一銭の藁苞を出しかけると、吉公は、
「それは嫌だ。そっちの方をおくれ。」と、言いながら、いきなりお婆さんの手の中にある二銭の苞を、引ったくってしまいました。お婆さんは、可哀そうに、眼…

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