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二つの型
ふたつのかた
作品ID3075
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「エレガント」1927(昭和2)年11月特輯号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-03 / 2014-09-17
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 服装に就いての趣味と云っても、私は着物の通人ではないから、あれがいいとか、こんな色合は悪いとかは云えない。要するに着ているそのひとに合っていればいい。種々変った型、色、等があって差し支えないということは、恰も同一の個性が人間の中に見出されないのと同じわけではないか。唯、この際、自分にあてはまったものが、そう簡単に易々と見附かるかどうかと云うことは云える。そのために衣裳好みということが起るのであるならばさし支えないが、徒らに高価なものを身に附けたりして通がったりするのは、却ってその人を落すだけである。
 京都へ行く度びに私がよく思うことは、京都の女は、凡てが季節などに支配されているということである。セルの季節になると、一様にセル物の姿が見られる。同じ様な意味で、縞柄とか模様、色彩などがなんとなく同一傾向のものであって、東京の電車の中で見る様な、突飛な服装をしているものはついぞ発見し得ない。強いて云えば京都風というもので統一されてしまっている。
 所が、東京は全く雑然としている。お召の側らにけばけばしい洋装がいるかと思えば、季節外れの衣裳を平気で身に附けている者がある。だから、京都は統一はあるが婦人の個性は失われている。東京は統一がない代りに、各自その人の個性がはっきり掴み取れる様な服装をしている。土地によると二つの型がはっきりと分類されていて面白いと思う。

 それから、段々職業婦人というものが多くなって、女の外出ということが繁くなるに従って、一つは綺麗ではあるが二三年でもう棄ててしまう安もの――棄ててしまっても何等惜しくないのを着る者と、他は高価ではあるが永い間着て悪くならないつまり「持ちのいい」ものを着る者という風に分れて行くであろうし、現在そうなっていると思う。派手に着飾って見た眼には美しいが、指をふれて見ると碌なものじゃないという傾向と、じみな、視覚にはそんなに衝動を与えない代りに丈夫で永持のする高価なものという二つの服装分類は、そのどちらかに依って、外出する機会を多く持っている者か、内に許り閉じこもっている人であるかが解るだろうと思う。

 私も、たんまりお金があったらいいものを着たいわけだが、ないから古い型で間に合わしているので、従って最近流行の衣裳ということについては、少しも解ってはいない。
〔一九二七年十一月〕



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