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祭日ならざる日々
さいじつならざるひび
作品ID3097
副題日本女性の覚悟
にほんじょせいのかくご
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「新女苑」1937(昭和12)年12月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-12 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 千人針の女のひとたちが街頭に立っている姿が、今秋の文展には新しい風俗画の分野にとり入れられて並べられている。それらの女のひとたちはみな夏のなりである。このごろは秋もふけて、深夜に外をあるくと、屋根屋根におく露が、明けがたのひとときは霜に凝るかと思うほどしげく瓦やトタンをぬれ光らせている。戦いに年が暮れるのだろうか。
 この間二晩つづけて、東京には提灯行列があった。ある会があって、お濠端の前の建物のバルコンから、その下に蜿蜒と進行する灯の行列を眺め「勝たずば生きてかえらじと」の節の楽隊をきいた。あとになって銀座へ出たら、その提灯行列のながれが、灯った提灯をふりかざしながら幾人も歩いていて、どれも背広姿の若い男たちであった。なかに蹌踉とした足どりの幾組かもあって、バンザーイ、バンザーイといいながら、若い女のひとの顔の前へいきなりひょいと円い赤い行列提灯をつきつけたりしていた。いつよばれるかを知れないような連中なんだね、ああやっているの。と、その様子を眺めながら連れの老齢の男のひとが静かな口調でいった。
 私たち女の心は、こういう街頭の情景にふれても、簡単にただ見ては過ぎかねる動きを感じている。新聞は毎日毎日、勇壮無比な形容詞をくりかえして、前線の将士の善戦をつたえているが、現代の読者が、ああいう大ざっぱで昔風の芝居がかりな勇気というもののいいあらわしかたや、献身というものの表現を、不満なくうけとって、心持にそぐわない何ものをも感じていないとすれば、感受性の鋭さを誇る若い青年男女の心持ちも不思議である。今日の社会の事情は尋常を脱していて、女に求められている力も、女の資質一般ではなく、銃後の力としての女の力である。そして、それは千人針からはじまって、すでに特殊な生産部門に男と代って働く女の力、あるいは複雑な日本の経済条件の日々の負担者としての女の力が呼び出されているのである。
 戦争やその雰囲気にヒロイックな色彩はつきもののように考えられている。銃後の婦人へ与えられる激励の言葉、また、婦人のそれに応える誓の言葉は、最大級の感情を内容とする文字をつかって、今日では一つの形式をこしらえている。白エプロンに斜襷の女のひとたちの姿が現れたところ、即ちそこに戦時の気分が撒かれなければならぬようなところがある。最もいつわりのなかるべき芸術の仕事をしている女のひとの感情でさえ、たとえば近頃の岡本かの子氏の時局和歌などをよむと、新聞でつかうとおりの粗大な形容詞の内容のまま、それを三十一文字にかいていられる。北原白秋氏は、観念上の「空爆」を万葉調の長歌にかいていられる。これらすべては、明日になって日本文学史の上に顧みれば、日本文学の弱い部分をなすものであり、各作家の秀抜ならざる作品の典型となるものなのである。いろいろな芸術家が、今日の風雲に応じて題材をとること、テーマを選ぶこと、そ…

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