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成長意慾としての恋愛
せいちょういよくとしてのれんあい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「三田新聞」1938(昭和13)年11月10日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-12 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ある種の人々にとって、恋愛はそう大した人生の問題でなく感じられているかもしれない。あながち志壮なるが故にではなく、ごく古くからありふれた習俗の枠にはまった考えかたで、恋愛と青春の放埒と漠然混同し、その場その場で精神と肉体とを誘い込む様々の模造小路を彷徨しつつ、身を堅める時は結婚する時という風な生き方である。
 そういう風の吹くままの流れかたを自身の生活として承認出来ない心持の多数の若い人々は、社会の現実について目がひらけて、自分の生きかたを問題にして来るに従って、その全体的な問題の最も有機的な部分として、恋愛のことも真面目に考察せざるを得なくなっていると思う。今日、大多数の若い人々が、男女にかかわらずそれぞれの恋愛について、私的なことであるが又公的なことでもあるとする一つの公開的態度をもって対する根本には、上述のように、恋愛の含む広い複雑な社会性の意識がいつとなく作用しているからである。
 若い世代は、率直に、自身に恋愛の権利を認めていると思う。しかしながら、自身に向ってその当然さを認めることと、適当な恋愛の対象を見出し得るか否かということはおのずから別であり、更にその恋愛を互の人間らしい成長の希望、方向に於て発展させ完成させて行き得るかどうかという点になると、事の複雑さは一層深いものになって来る。ここでは、自身と対手との個性が、その出生や成長期の環境からうけている実に多様な諸条件によって交渉し合うばかりでなく、外部的な事情との接触、摩擦、克服の過程で、それぞれの恋愛が形づくられ、完成され、或る場合は破滅させられて行くのである。今日の若い人々が、自身の人生に恋愛を認めていると同時に、一面では多くの場合暗黙の裡に恋愛と結婚生活とを切りはなして考え、行動していることは、注目をひく点ではなかろうか。十人のうち何人かは、淡泊な微笑で自分たちの恋愛を認めるにちがいない。ところが、ではそれは結婚に到るものかと訊ねたとすると、恐らく全部の人が些か困惑し、或は問うまでもないこととして、結婚は思っていない意志を表明するであろう。これは何故だろうか。
 少年の感情の世界にひそかな駭きをもって女性というものが現れた刹那から、人生の伴侶としての女性を選択するまでには成育の機変転を経るわけである。感情の内容は徐々に高められて豊富になって行くのだから、いきなり恋愛と結婚とをつなぎ止めてしまうことには、当を得ない点がある。十分にそれを考慮に入れてしかも尚、今日の若き人々が、恋愛について比較的公開的な心持になっているのに、半面愛する者を愛妻として期待しない気持の中には、何かそのままに見過せないものが潜んでいると思う。
 日本では、誰にも知られているとおり社会のあらゆる現象が古きもの新しきものの苦しい錯綜に絡まれているために、例えば恋愛はその限りに於て人間本来の感情と見られていながら、結婚…

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