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偸盗
ちゅうとう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「羅生門・鼻・芋粥・偸盗」 岩波文庫、岩波書店
1960(昭和35)年11月25日
初出「中央公論」1917(大正6)年4、7月
入力者福田芽久美
校正者野口英司
公開 / 更新1998-10-04 / 2014-09-17
長さの目安約 100 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

「おばば、猪熊のおばば。」
 朱雀綾小路の辻で、じみな紺の水干に揉烏帽子をかけた、二十ばかりの、醜い、片目の侍が、平骨の扇を上げて、通りかかりの老婆を呼びとめた。――
 むし暑く夏霞のたなびいた空が、息をひそめたように、家々の上をおおいかぶさった、七月のある日ざかりである。男の足をとめた辻には、枝のまばらな、ひょろ長い葉柳が一本、このごろはやる疫病にでもかかったかと思う姿で、形ばかりの影を地の上に落としているが、ここにさえ、その日にかわいた葉を動かそうという風はない。まして、日の光に照りつけられた大路には、あまりの暑さにめげたせいか、人通りも今はひとしきりとだえて、たださっき通った牛車のわだちが長々とうねっているばかり、その車の輪にひかれた、小さな蛇も、切れ口の肉を青ませながら、始めは尾をぴくぴくやっていたが、いつか脂ぎった腹を上へ向けて、もう鱗一つ動かさないようになってしまった。どこもかしこも、炎天のほこりを浴びたこの町の辻で、わずかに一滴の湿りを点じたものがあるとすれば、それはこの蛇の切れ口から出た、なまぐさい腐れ水ばかりであろう。
「おばば。」
「……」
 老婆は、あわただしくふり返った。見ると、年は六十ばかりであろう。垢じみた檜皮色の帷子に、黄ばんだ髪の毛をたらして、尻の切れた藁草履をひきずりながら、長い蛙股の杖をついた、目の丸い、口の大きな、どこか蟇の顔を思わせる、卑しげな女である。
「おや、太郎さんか。」
 日の光にむせるような声で、こう言うと、老婆は、杖をひきずりながら、二足三足あとへ帰って、まず口を切る前に、上くちびるをべろりとなめて見せた。
「何か用でもおありか。」
「いや、別に用じゃない。」
 片目は、うすいあばたのある顔に、しいて作ったらしい微笑をうかべながら、どこか無理のある声で、快活にこう言った。
「ただ、沙金がこのごろは、どこにいるかと思ってな。」
「用のあるは、いつも娘ばかりさね。鳶が鷹を生んだおかげには。」
 猪熊のばばは、いやみらしく、くちびるをそらせながら、にやついた。
「用と言うほどの用じゃないが、今夜の手はずも、まだ聞かないからな。」
「なに、手はずに変わりがあるものかね。集まるのは羅生門、刻限は亥の上刻――みんな昔から、きまっているとおりさ。」
 老婆は、こう言って、わるがしこそうに、じろじろ、左右をみまわしたが、人通りのないのに安心したのかまた、厚いくちびるをちょいとなめて、
「家内の様子は、たいてい娘が探って来たそうだよ。それも、侍たちの中には、手のきくやつがいるまいという事さ。詳しい話は、今夜娘がするだろうがね。」
 これを聞くと、太郎と言われた男は、日をよけた黄紙の扇の下で、あざけるように、口をゆがめた。
「じゃ沙金はまた、たれかあすこの侍とでも、懇意になったのだな。」
「なに、やっぱり販…

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