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新しい船出
あたらしいふなで
副題女らしさの昨日、今日、明日
おんならしさのきのう、きょう、あす
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「婦人画報」1940(昭和15)年2月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-15 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 女らしさというものについて女自身はどう感じてどんなに扱っているのだろうか。これはなかなか微妙で面白いことだし、また女らしさというような表現が日常生活の感情の中に何か一つの範疇のようなものとしてあらわれはじめたのは、いつの時代頃からのことなのであろうか。そういう点にも興味がある。
 万葉集を読んだ人は、誰でもあの詩歌の世界で、実にすなおに率直に男女の心持が流露されているのを知っているが、あのなかには沢山の可愛い女、美しい女、あでやかな女を恋い讚えた表現があるけれども、一つも女らしい女という規準で讚美されている女の例はない。これは本当に心持のよいことだと思う。あの時代、女と男との生活は原始ながら自然な条件を多くもっていたために、女は美しい女、醜い女、賢い女、愚かな女というようなおのずからな差別をうけながらも、女らしいという自然性については、何も特別な見かたはされていない。紫陽花が紫陽花らしいことに何の疑いもはさまれていず、紅梅が紅梅らしいのに特殊な観念化は附加されていない。それなりに評価されていて、紫陽花には珍しい色合いの花が咲けば、その現象を自然のままに見て、これはマア紫陽花に数少い色合であることよ、という風に鑑賞されている。牝鹿がある時どんなに優しく、ある時どんなに猛くてもやはりそれなり牝鹿らしいと見るままの心で女の女らしさが社会の感情の中に流動していたのであったと思われる。
 近松になると、もう明瞭に女の女らしさ、男の心に対置されたものとしての女心の独特な波調が、その芸術のなかにとらえられて来ている。よきにつけあしきにつけ主動的であり、積極的である男心に添うて、娘としては親のために、嫁いでは良人のために、老いては子のために自分の悲喜を殺し、あきらめてゆかねばならない女心の悶えというものを、近松は色彩濃やかなさまざまのシチュエーションの中に描き出している。彼の芸術が日本の文芸史のなかにあれほど巨大な場所を占めているのを見れば、近松の情の世界が、日本の社会の歴史のなかではいかに長い世代にわたって一般の感情に共感をよびさますものであったかがうかがわれる。その封建時代の女心が男女にこぼさせた涙が今日でもまだ私たちの生活の中では完全に昔の物語となり切っていない有様である。
 女らしさ、という表現が女の生活の規準とされるようにまでなって来た社会の歴史の過程で、女がどういう役割を得てきているかといえば、女らしさという観念を女に向ってつくったのは決して女ではなかった。社会の形成の変遷につれ次第に財産とともにそれを相続する家系を重んじはじめた男が、社会と家庭とを支配するものとしての立場から、その便宜と利害とから、女というものを見て、そこに求めるものを基本として女らしさの観念をまとめて来たのであった。それ故、女らしさ、という一つの社会的な意味をもった観念のかためられる道筋で…

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