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幸福の感覚
こうふくのかんかく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「婦人画報」1940(昭和15)年8月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-15 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 幸福というものについて、おそらく人間は永久に考えるだろうと思う。いろんな時代がこれから人類の歴史にもたらされて、その内容は、きょう生きている私たちの文明の程度では予想もしなかったようなものにもなるだろう。そういう時代が来ても、人間はやはり幸福ということについて考えることをやめまい。
 けれども、現在女の幸福という特別の関心でふれられている、女にとっての幸福の問題はどうなるであろうか。別のいいかたでそれを表現すれば、今日の女が歴史のゆがみのおかげで、社会的な条件のうちにもっている女であるための不便不幸、女の心そのもののうちに、そういう条件の反映がつもりつもった結果として附着しているさまざまのつまらない、あじきないものは、未来の文化のなかで、どんな工合に解決されて行くだろうか、ということである。
 いずれ永いジグザグの道を経た上でのことだろうが、女の幸福の問題はやがて次第にその局部的な、しかしきわめてその社会の基本的なありようと関係しあった特殊性を高めひろげ、揚棄して行って、いつかは人間の幸福についての具体的な条件の一つとして、女の幸福が扱われるようになって来るだろうと考えられる。現在でのように、どっちかというといつも男対女のいきさつの形で、女の側からの女の幸福の探求がもち出されて来るような社会の時代的な性格に変化が生じて、男も人間の幸福ということを考えれば、女の幸福がその不可欠の条件であることを常識として身につけて、いわば最も直接な男の幸福問題として女の幸福も増す方向に動くようになって来るだろうということだけは確かに予見できる。
 日本のような社会の伝習の中では、現在まだ男の幸福は、女として女が求めている幸福への条件を承認しないことで守られている部分もあるというような、哀れな危っかしい状態に置かれている。男も女も互の幸福については、互を自身の冒険として見なければならない状態である。つまり、人間としての合理的な幸福は、まだそんな低い、偶然にかけられている未熟な粗野な社会であるともいえるのである。
 今のところ、女の幸福がしきりにいわれる歴史の根拠は、そのような意味で架空なものではないのだが、さて、幸福というものを私たちはどう考えあるいは感じているのだろう。
 折々座談会などでそういう話題になったとき一番困惑するのは、現代の人間はまだ幸福というものをきわめて固定したものとして扱っているという点である。特に女のひとは、どういうものか幸福、不幸という二つの漠然とした、しかも抜くことのできない観念を心のどこかに植えつけられている。そして、不幸になるまいと絶えず警戒しつつ、本体が何かということは自分の心にもはっきり感じられていない幸福を追っているように見える。
 幸福というものを固定した観念で鋳りつけて、そういうものを求める生活の態度は大変人間の智慧のおくれた部分のあら…

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