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女性の歴史の七十四年
じょせいのれきしのななじゅうよねん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「教育」1941(昭和16)年1月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-21 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私たち日本の女性は、これまでの歴史の中で、はたしてどんな政治的な経験と呼ばれるものをうけついで来ているのだろうか。
 自由民権時代に、岸田俊子その他の若い女性が活躍したことは周知のとおりだし、大正末期から昭和六七年頃までの期間、多くの若い婦人が政治的な関心をめざまされて活動したことも、まだ記憶に新しいことだと思う。
 維新の風雲の間を奔走した女のひとたちはもとより少くなくて、それらの婦人たちは歴史の波瀾のうちに生死をも賭したのであったが、総ての時代を通じて印象を辿ってみると、日本の婦人一般にとって政治的な活動をする婦人は、すぐ一種の女傑になってしまって、家庭生活を中心に朝夕を送っている人々の実感からどことなし一歩はなれた存在となって来た傾きがつよいと思われる。
 明治十四年に十九歳であった岸田俊子が、三年の女官生活から一直線に自由党の政治運動に入って行った過程は、いかにもその時代の若々しく燃え立って、形の固定していなかった日本の社会情勢を語っていて、俊子の性格の烈しさの面白さばかりに止まらない感興を後世に与える。俊子は、当時の進歩的な人々のものの考えかたに従って男女平等論や一夫一婦論や女子教育論、あるいは政局批判に熱弁をふるったわけであったが、彼女の政治的見解というものははたしてどこまで深くその身についていただろうか。
 年齢が若かったというばかりでなく、たとえばそれらの演説会に出るときの服装などについても、俊子は相当のはったりをきかしているところが見える。「大阪では文金高島田、緋縮緬の着物に黒縮緬の帯という芝居の姫君のような濃艶な姿、また京都その他では黒白赤の三枚重ね」と土地柄を見て演出効果を考えていたことも相馬黒光女史の「明治初期の三女性」の中に語られている。明治十六年の秋京都で「女子大演説会」というものを開いたときには、太刀ふじという七つか八つの女の子に前座をつとめさせたこともあった様子である。
 明治十三年に神田の区会に婦人傍聴者が現れたということが神崎清氏の婦人年鑑にあって、それから明治二十三年集会結社法で婦人の政談傍聴禁止がしかれるまで、成田梅子、村上半子、景山英子らの活溌な動きがあったのだが、岸田俊子にしろ当時の自由党員中島長城と結婚してからは、自分の過去の政治活動をあまりよろこばしい回想とはしていない口吻であったことが語られている。俊子の生涯の活動ぶり、情熱の中心は、自分というものが身にもっている容色と才智との全部を男と平等なあるいは男を瞠若たらしめる女として表現してゆこうとする意欲に熱烈で、その面には徹底的であったらしいけれども、当時のおくれた無智におかれている同性に対しては決して暖い同情者啓蒙者であるといえなかった点も、今日から見ると、一種のおどろきに似た感情を与えられる。
 明治三十二年というと中島湘煙の死ぬ二年前のことだが、その頃青…

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