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女の行進
おんなのこうしん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「オール女性」1941(昭和16)年1月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-21 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 十一月のお祭りのうちのある午後、用事で銀座へ出かけていたうちの者が、帰って来て、きょうは珍しいものを見たの、といった。浦和の方から、女子青年の娘さんたちが久留米絣の揃いの服装、もんぺに鉢巻姿で自転車にのって銀座どおりを行進して行ったのだそうだ。それは綺麗だったけれど、そのあとから制服の背中に黄色い布で長い木剣を斜に背負って自転車にのった娘さんの一隊がきかかると、立ち止って見ていた通行人たちはびっくりした心持からユーモアへ動かされて、みんな笑い出したそうだ。あんな恰好をして遠いところからペタルをふんで来て何の意味もないじゃあないか、という批評がきこえたそうだ。うちの若い娘も不思議そうに、木剣背負ってどうするんでしょうね、剣道をやっているのかしら、といっていた。
 その場にいあわせたのではなかったから、行進があたりに与えた空気も、それと反対に行進を見送ったその時の通行人の気分も、それがどんなものであったか、もとよりはっきり断言はできない。けれども常識として考えた場合、一ふりの長い剣を斜に背負った姿は、日本の昔から袴の股立ちを高くとった若武者の旅姿で私たちには印象づけられているのだから、それがセイラアの制服の背中について自転車に乗って行進して来たとすれば、一種の時代錯誤が感じられるのはむしろ当然ではなかったかと思う。
 それを見て笑うなんて浅薄だという風にいえば、もちろんそうで、真に心ある人々としては決して笑って見ていられない今日の日本の時局精神の皮相的なはきちがいが、その娘さんたちの姿にも象徴されていると思う。そういう姿にある時代錯誤の感じは、単なるハイカラ的見地からでなく現代の世界が使用している武器の機械的な強力さや精緻さは子供だって知っているのだから、女の子がなまじそんな木剣を背負って行進したりするところには、ちかごろ流行の詩吟や黒紋付姿同様、何か国民が本気でそれへ当っている事象への戯画化が印象づけられる。
 娘たちはきっと、そういう体のあがきのわるい姿で隊をなしてペタルをふんでさぞや一心な顔つきであったろう。その一心な若い真率な心を、その姿の与える空気で裏切っていたということは、娘さんたちにとって本当に可哀相と思う。疲れて浦和へかえったとき、彼女たちの心にはたして出発のとき燃えていた明るいたのしい気分が、たっぷりつぐのわれてあっただろうか。
 何となし東京の人間なんて、という感じが心の片隅にのこされたのではなかったろうか。銀座なんか歩いているような者たちは、と、訓話などできいた話を思いおこして、自分たちの木剣姿に向けられた街の表情を憎悪することはなかっただろうか。
 私たちは、若い娘さんたちの純情を思いやって、浦和の娘さんたちを気の毒に思うとともに、そういう形での行進を迎えなければならなかった東京の市民も気の毒に思う。なぜなら、そういう行進を考えついた人…

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