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ケーテ・コルヴィッツの画業
ケーテ・コルヴィッツのがぎょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「アトリエ」1941(昭和16)年3月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-21 / 2014-09-17
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ここに一枚のスケッチがある。のどもとのつまった貧しい服装をした中年の女がドアの前に佇み、永年の力仕事で節の大きく高くなった手で、そのドアをノックしている。貧しさの中でも慎しみぶかく小ざっぱりとかき上げられて、かたく巻きつけられている髪。うつむいている顔は、やっと決心して来た医者のドアの前で、自分の静かに重いノックにこたえられる内からの声に耳を傾けているばかりでなく、その横顔全体に何と深い生活の愁いが漲っていることだろう。彼女は妊娠している。うつむきながら、決心と期待と不安とをこめて一つ二つと左手でノックする。右の手は、重い腹をすべって垂れ下っている粗いスカートを掴むように握っている。
「医者のもとで」という題のこのスケッチには不思議に心に迫る力がこもっている。名もない、一人の貧しい、身重の女が全身から滲み出しているものは、生活に苦しんでいる人間の無限の訴えと、その苦悩の偽りなさと、そのような苦しみは軽蔑することが不可能であるという強い感銘とである。そしてさらに感じることは、ケーテ・コルヴィッツはここにたった一人の、医者のドアをノックする女を描きだしているだけではないということである。ケーテはモデルへつきない同感を、リアリスティックなつよい線と明暗とで、確り感傷なく描き出して、忘れ難い人生の場面は到るところに在るということを示しているのである。
 世界の美術史には、これまでに何人かの傑れた婦人画家たちの名が記されている。ローザ・ボヌールの「馬市」の絵だの、「出あい」という作品を残して二十四歳の生涯を終ったマリア・バシュキルツェフ。灰色と薄桃色と黒との諧調で独特に粋な感覚の世界をつくったマリー・ローランサン。しかし、ケーテ・コルヴィッツの存在はドイツの誇りであるばかりでなく、その生涯と労作とは、決してただ画才の豊かであった一人の婦人画家としての物語に尽しきれない。ケーテは何かの意味で、絵画という芸術の船を人生と歴史の大海へ漕ぎすすめた女流選手の一人なのである。
 ケーテは一八六七年(慶応三年)七月八日、東部プロイセンのケーニヒスベルクに生れた。父をカール・シュミット、母をケーテ・ループといい、娘ケーテの生れた時代のシュミット一家は、ケーニヒスベルクの左官屋の親方として、なかなか大規模の生活を営んでいた。
 父親のカール・シュミットという人は、ありふれた左官屋の親方ではなかった。若い時代に大変苦心して大学教育をうけ、判事試補にまでなったのだが、当時ビスマークを首相として人民を圧迫していたウィルヘルム二世の官吏として人民に対することは、自分の良心にそむくことを知って、職をすて、改めて左官屋の仕事を学んだ。左官屋といっても、ドイツではただ壁をぬるばかりが仕事ではなくて、煉瓦を積んで家を建てる仕事や、その家々の装飾の浮彫石膏細工をつくるという風な美術的技量のいることも…

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