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今にわれらも
いまにわれらも
作品ID3150
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「農民の旗」1933(昭和8)年3月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-27 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 〔二字伏字〕のおかげで農村の生活は一層ひどくなった。
 この間東北の田舎へ帰ったひとからの手紙によると、村で五十銭ダマなどはもう半年も前から見ることが出来ない状態だそうだ。年とったおっ母さんが野菜売りに歩きはじめて一日に十銭から十五銭。救農事業というものが、どこの地方でも食わせものであることに、あきれたと書いている。
 内職もひどいもので繩一まる(五百五十間)三十六銭。しかもこれは馴れた腕の大の男が朝六時半ごろから夜八時までかかっての仕事だし、米を一升食わねば、これだけの精は出せぬ。ひき合うものでない。炭運びにしろ、女は三俵つんで日に二度、一里ぐらいを往復して一俵につき五銭だ。
 肥料なんど七割近い騰貴で、問題にならぬ。税の滞納は村の九分通りだそうである。初めのうちは皆心配したり、びくついていたが、村じゅうこうなっては却って力がついて、一つかたまって減[#「減」に×傍点]税の運動をやろうでないかという気運が出て来ているそうである。
「自力更生か! フフン」と年よりでも外方を向く気分だ。そういうようなことが書いてあった。
 私は折から来ていた、これは木曾の方の人に、その手紙のなかのことを話したら、
「それは、どこでもだね」
と云った。
「木曾の方は又違った風で、えらい目をしている」
 木曾は知ってのとおり山々が大抵御用[#「御用」に×傍点]林で、その山の根がたの住民の生計は炭焼き主だが、炭が俵二十何銭では一ヵ村かたまって炭の材料になる御用[#「御用」に×傍点]林の木を払い下げをして貰うことは出来ん状態になって来た。
 さりとて木がなくては炭はやけず、損とわかっても炭をやかねば命が繋げないから、村では評議して、先ず何人か犠牲をきめておいて、御用林[#「御用林」に×傍点]の木を〔六字伏字〕して炭にやいてしまう。村がそれでどうやら食って、犠牲者は仕方がない。ブタ箱[#「ブタ箱」に×傍点]行きである。そうして、やいている。
 だから、今度の〔二字伏字〕が〔三字伏字〕の〔二字伏字〕だとふれても、一向ききめがないそうだ。人民が生計のためになくてならない枝一本でも、伐れば懲役に送られるんでは、〔二字伏字〕いと思えぬ、そう云って居るそうである。
 日本[#「日本」に×傍点]はどんな田舎にでも電燈と小学校とはあると役人たちは自慢そうに云うが、電燈がこの頃の農村の何割にとぼっているか?
 小学校六年を終る子供は半分以下で、三年四年がせいぜいのところだ。田舎から出て来る女工さんを見ればそれはよう分る。親へ手紙が満足に書けるのは何人もおらん。それだから工場主はホクホクものだ、とそのひとは腹立たしげに云っていた。
 婦人雑誌が「子供の育てかた」だのやれ「姙婦の衛生」だのときれいな絵入りで書き立てているのも可笑しいようなものだ。農村には産婆さえありはしない。よしんばあってもたのめはしな…

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