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村からの娘
むらからのむすめ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「文化集団」1935(昭和10)年2月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-27 / 2014-09-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 新年号の『文学評論』という雑誌に、平林英子さんの「一つの典型」という小説がのっていて時節柄私にいろいろの感想をいだかせた。
 民子というプロレタリア文学の仕事をしている主婦のところへ、或る日突然信州の山奥の革命的伝統をもった村の大井とし子という娘から手紙が来る。その手紙は「あなたがこちらへお出下さいましてよりもはや一年が過ぎました。農村は不景気の風に吹きまくられて、百姓はその日のパンにさえありつくことが出来ません。これから段々寒くなってゆくばかりでございます」というような書き出しで「ついては大変突然で申しかねますが私をあなたのお家の女中にでも使って下さるわけには参りませんでしょうか」というのであった。民子が自分の家庭の事情をも考え、はっきりした返事を出しかねているうちに、電報で明朝新宿へ着くから迎えに出てくれということになり、愈々上京したとし子が民子の家庭で、一とおりならぬ民子の気づかいを引起しつつ暮す次第が、すらすらと巧に描かれているのである。
 山奥の世間知らずで、物心づくとから左翼的な考えかたでだけ育てられた十六の娘の一本気で、非実際的な気持や姿がガスのひねり工合一つにさえ神経を用いなければならぬ都会の家庭生活の細々した有様の描写を背景としてまざまざ書かれている。良人仙吉とは文学の階級性についても違った考えをもっていて、過去においては信州のその村へも講演に行ったりした民子が、そういうとし子の出現につれて、彼女の当惑をどちらといえば揶揄する周囲の良人・良人の友達などに対する気がね、気づかいの感情もどこやらユーモアをふくんで、私は女らしい筆致でよく描き出されていると思った。
 平林さんは、この小説を、旧ナルプの機械的指導の一つの反映、そういう指導が生み出した一つの娘のタイプとして観察し、「一つの典型」という題をもつけて書かれたらしく想像された。その考えかたについての論議をここでしようとは思わないのであるが、私はこの一篇の小説から、本当に田舎出のごく若い娘たちが急にこの東京の切りつめた都会生活に入って、どんなに様々の可憐な人にも語ることの出来ない心持を経験してゆくであろうかという事を、深く思いやったのであった。
 新宿へ迎えに出た民子の後について朝の混雑した郊外の表通りを家へ向って来る道々、とし子は二三歩あるいたかと思うと、すぐに当惑したようにして立止ってしまうので、民子が心配してとし子のところまで小戻りして、
「どうしたの、気分がわるいんですか」
ときくと、とし子は、いかにもきまりわるそうに苦笑して静に頭を横にふった。
「いいえ、人間や自転車や自動車が、いくらでもくるもんであぶなくってどうにも歩けないんだが……」
 そういう十六のとし子の心持も私を或る実感で打ったし、女中という、都会の小市民の家庭の中での一つの役割とその型とになかなかはまれず、主婦として…

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