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「ラジオ黄金時代」の底潮
「ラジオおうごんじだい」のていちょう
作品ID3169
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「唯物論研究」1937(昭和12)年8月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-02 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 現代ヨーロッパ文学には、ラジオや飛行機が様々の形でとりいれられ、スピードや空間の征服やそれによる人間の心理の複雑化などが語られている。
 日本でもラジオは文学に反映しているが、最近東朝が紙面の品位を害するという理由で掲載を打ちきったとつたえられる永井荷風氏の「[#挿絵]東綺譚」は、恐らく今日の世界の文学に類のないラジオと一人の人間との関係を発端としていると思う。作者永井荷風は、夏の夕方になると軒並にラウド・スピイカアのスウィッチを入れて、俗悪・卑雑な騒ぎを放散させる五月蠅さに堪りかねて、丁度十時頃ラジオの終るまでの時刻をどこかラジオのならないところで過す工夫をこらす。そして、遂に墨東、亀戸辺の私娼窟に出入することを書いたものである。
 古典的筆致と現代私娼窟の女・情景とを荷風一流のデガ[#「ガ」はママ]ダンスに統一して描かれていたこの作品についての感想はここでは触れないとして、ラジオをいやがって逃げ出すところから何百枚かの小説をかかせ得る日本のラジオというものの性質が、なかなか只見て過るというわけに行かないのである。
 荷風の場合は、一つの異例であるとしても、ラジオが好き、と積極的に云い得る人は、全住民の果して何割を占めるであろうか。日本の家屋の構造は、全く夏など家そのものを反響箱として響きわたるのであるから、生憎ラジオを終りまでかけている家の隣りにでも住み合わしたら、大抵の者は閉口する。
 西洋の習慣と云えばその一つとして、ダンスが数えられるが、ダンスぎらいで一生通す人もいる。ラジオぎらいも世界的現象としてあり得るのである。しかし、日本のラジオのプログラムの所謂修養・娯楽の部に対して一部の聴取者が常に感じている水準の低さに対する不満の如き不満が、やはり世界的な現象なのであろうか。一方、その中でラジオが好きと迄云い切れる人が殆どないであろうのに、日本のラジオ聴取者の数は放送開始の大正十四年三月の五千四百三十四名から、昭和二年五十万を突破、昭和七年百万。それから「所謂ラジオの黄金時代を現出して」昭和八年には百五十万を超え、十年二百万。十一年二百七十七万余という勢での増加である。略五軒に一軒の割合になることを統計は示している。今日は首相である近衛文麿公を会長として、全国的統一組織の下に逓信省所轄の中央放送協会は「ラジオの加入状況益々好調」とこの事実を慶賀している。その原因として、放送網の拡充、社会情勢に伴うニュース価値、器具の改良、維持費の低廉化等が作用していると共に、軍需景気、米穀、繭の高価等による農村経済事情の良好化があげられている。
 これらのことももとより原因のいくつかをなしているであろうが、現実の事情はこういう文化の積極面からだけ、ラジオの聴取者を増大させているであろうか。私は、極めて平凡な日常の常識から、ラジオ聴取者増大の傾向を、もうすこし深く具体…

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