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昔を今に
むかしをいまに
作品ID3176
副題なすよしもなき馬鈴薯と綿
なすよしもなきばれいしょとわた
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「日本学芸新聞」1940(昭和15)年3月20日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-02 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 三四日、風邪で臥ていた従妹が、きょうは起きて、赤い格子のエプロンをかけ、うれしそうにパンジーの鉢植をしている。
 その縁側の外に立って、私はシャベルで縁の下の土を掬っては素焼の鉢にうつした。この従妹は田舎の家で土いじりの好きな父親の対手をしていたものだから、いろいろのことに自然通じていて、そうやって鉢へ入れる土も、縁の下のでなければだめ庭土はすっかり凍っているからと、私に教えるのであった。
 うちには、庭と呼ぶ狭い空地が鉤のてに建られた住居と、隣家の羽目との間にある。東は竹垣でそちらからの日光はよくさすが南側はいきなり前の家の羽目になっているから、狭い空地の半分以上はその蔭に入ってしまう都合になる。従妹がパンジーをいじっている座敷の縁側から畳三尺ほど春日はうららかに照っているが、庭の南側の端れには、八つ手の大きいのが一本、赤い実のついた青木が一本、生えているばかりである。
 この界隈は、どちらかというと樹木の多い古い土地で、めいめいの家の空地もある方だろうが、それでもやっぱり、沈丁花一つ咲かすにも程よいところを見つけるには工夫がいる有様である。
 シャベルをもって縁の下の土をほりながら、私はこの間新聞でよんだ記事を思い出した。米の不足を補うために、東京市は馬鈴薯の種をとりよせ、それを十坪以内の土地の利用者に限って分ける、という話である。その記事をよんだときも、何となし十坪以内の地べたを利用して植る、ということに、ぴったりしない感じがした。そういう面積を標準としたことは出来た馬鈴薯を売りものにしないという目安に立ってのことであろうが、田舎で本ものの馬鈴薯畑を見たり、裸足を甲までも柔かい畑土にうずめて馬鈴薯ほりをした思い出からは、云われていることが何か手遊びめいた感じで妙な気がした。
 きょう、そうやってシャベルをもって庭へ下りて、従妹にその庭の土は凍っていて駄目だと教えられ、私は又別な感想で、十坪馬鈴薯のことを思い合わすのである。この庭なんか、丁度八九坪で、東京市で標準とされている地面の広さである。
 だけれども、親愛なるジャガイモ、私の祖母たちはカンプラと東北の呼名で呼んだ馬鈴薯の種を、どこへまいたら、育って花を咲かせて、米の足しになるようなみのりかたをするだろうか。もしも、うちでやるとすれば、東側の竹垣の根へ少々その東からの光線がさす西よりのところに少々、位置をそうきめたとして、土は鉢植えにさえ適さないものだし、すこし深く掘ると、ここは何故だか瓦のこわれだの石ころだのが出る。田舎から来ている従妹は、ジャガイモ話は本気にしないで、ハアハア大笑いしているのも無理ないと思えた。
 お米の足しに、ジャガイモが実質的な意味をもつというような程度の日暮しの東京の家庭が、十坪以内にしろ、薯の隆々と成育するだけの日光と水はけとをそなえた空地を果して家のまわりにもっている…

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