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市民の生活と科学
しみんのせいかつとかがく
作品ID3179
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「科学ペン」1940(昭和15)年6月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-05 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 家庭で科学教育をどんな風にしてゆくかということや、科学についての知識を大衆の間にひろめ高めてゆくという文化上の大切なことがらも、現実の問題としては今日いろいろと複雑なものを含んでいるのではなかろうか。一般について云えば、従来日本の女の教育のしきたりでは科学が非常に軽じられていた。そのために、そういう片手おちな教育をうけた若い婦人が妻となり母となった家庭のなかで、自然な面白い科学教育が行われようもなかったと云えると思う。それなら婦人の教育におけるそのような重大な欠陥を急速に補って行ったらば数年のうちには解決されそうに見えるが、現在の日本の教育の傾きは、果してその方面の輝やかしい展望を可能にする性質をもっているものだろうか。今日の男児の教育の方向について云えるこのことは、女の児の場合には一層深刻な作用をもっていはしまいか。
 キュリー夫人伝は日本でも昨今ベスト・セラーズの一つであった。大抵の若い人たちは、あの本を愛読して感動した。年をとった人々でも、やはり尊敬をもって、この卓抜な一婦人科学者の堅忍と潔白とが成就せしめた業績を読みとったと思う。だが、キュリー夫人へのその讚歎をそれなりすらりと日本の現状にふりむけてみて、そこにある日本の婦人科学者の成長の可能条件の可否に即して真面目に考えた人たちは果して何人在っただろう。フランスであったからこそ、キュリー夫人が女で科学者であるという道の上にめぐりあった種々の闘いを、成功的に勝ち得たのだという感想は、おのずから湧いたと思う。キュリー夫人のようなひとが外国にはいるのに日本の女は、とその低さをいきなり云われることは日本の刻々の現実のなかで成長して行かなければならない日本の女にとって、思いやりない言葉と思う。文化面でも、どれだけの人間の才能と精力が社会的条件によって浪費されているかということが、つまりはその国の文化の質を語るのだが、日本で女の科学的成長の可能は極めて低くそして狭い。
 或る知名な技術家に十六七の娘さんがいて、そのひとは数学が大変すきだ。女学校へ入った頃から特別に指導者をもってよろこんでその道を辿り、現在では高等数学の相当のところまで行っている。その娘さんが女学校を出てから更に専門の教育をうけて、婦人数学者になる希望をもっているかというと、お母さんはそういう希望がなくはないが、娘さんは普通の結婚をしようという心持らしい。人生に対する娘さんのなだらかなその心持はいかにも好感がもてるのだけれど、そこには何となしもう一寸ひっかかって来るものが残されていて、そういう一つの女の才能が、娘さんの人生へのなだらかな態度と渾然一致したものとして専門的にまで成熟させられ切れない、現在の女の社会での在りようや文化の性質に思いが致されるのである。
 家庭における科学教育ということも、つまりはこういうところにかかっていると思う。夏休…

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