えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


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日本文化のために
にほんぶんかのために
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出不詳
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-05 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 出版にインフレーションという流行ことばが結びつけて云われたことは、おそらく明治以来例のないことだったのではなかろうか。ところがこの一二年来は、インフレ出版という言葉が出来た。そしてこの言葉は、本がびっくりするほど売れるという事実と、それだもんだから本当にひどい本まで出ているという事実を意味していて、文学に連関する現象として云えば、小説の単行本の出版される数の夥しきにつれて文学の質の問題が逆の方から問題になって来るという有様であった。日本の文化上の経験としては、未曾有の荒っぽさ、渾沌、無選択の反映であり、読者の経済能力と反比例する読書の基準の喪失が云われるのである。
 どんな本でも本でさえあれば売れる、と言う言葉ほど人間をばかにしたことはないと思う。食わせさえすれば何でも食う、そう云われたら人々は悲憤すると思う。本にしろこれは同じと思う。
 インフレーションという本来の性質にしたがって出版の場合でも、いい本よりは下らない悪い本が濫造されていたのだから、そのような本の出版状態が整理されて、着実な選択にしたがってそれぞれの分野の著作が出版されるようになったらいいということは、一面の真理であり実際でもある。
 たとえば、『少女の友』などに描いていた中原淳一氏の抒情画というものが、この頃は見えなくなった。芸術のこととして、また純正な絵画の美を少女たちの感性に高め導いてゆくためにああいう絵が何かの価値をもっているかと云えば、それは決して積極的な意義はもっていないと思える。渡辺与平、竹久夢二などがその時代の日本の空気のもっていた女の解放へ目をむけたロマンティシズムを或る点で表象していたような関係はないのである。
 少女時代から、立派な芸術的古典にじかにふれて、その感傷も向上の欲求もその芸術的感覚のなかで成長させてやりたいと願う人々は、そういう情緒を高める力をもたない現代の抒情画の本質は肯いかねていたと思う。けれども、その絵の見えなくなった動機が画家そのひとの内部から自発したものでなかったり、ジャーナリズムの文化的成長の表現としての淘汰でなかったりして、全く外部の影響で、きょうは何でも云えるというようなもののちからで消されたとあれば、それにはやはり、別個の問題がある。あるものが芸術品としてつまらないということとはまた別に、絵画の問題に外からの作用がどう及ぼすか、それが絵画の真の発展にどう働くかというそのこと自体としての問題がおこって来る。

 出版の統制の基本的なところに、極めてこれに近い研究問題が存在するのではないだろうか。一般の印象にさぐり入ってみれば、今日までのところ、統制という響の与える感じは何かを切り下げること、切りすてることという方向でうけられていて、統制、ああじゃあこれまでより豊富になる、という方向への感じは、育くまれていないのが現実だろうと思う。
 出版の…

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