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今日の生活と文化の問題
こんにちのせいかつとぶんかのもんだい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「生活の思索」教材社、1941(昭和16)年5月発行
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-08 / 2014-09-17
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文化という二つの文字に変りはないようだけれども、歴史のそれぞれの時代で文化の示す様相は実に変化の激しいものがある。そして、文化が危期におかれるという現実もあり得るのである。
 大体私たちは日常の言葉として文化を云う場合、それはいつも人間生活の何かの進歩、何かの知慧の明るさ、醜いものより美しさに近づいたものを考えているのだと思う。昔ながらの煽げば煙たいへっついでも、幾らか改良を加えれば、それに文化という字をつけて文化竈と呼ぶようなものである。私たち人間の自然な心には、成長を歓ぶ心、進歩を求める欲求が深く潜んでいて、文化という表現に人々が我知らず籠めている内容には貴重な人類としての希望が語られているのである。
 文化の実質はそういう人間らしさに立っているものであるにかかわらず、或る時代の風潮としては、文化の欲求や文化の蓄積された成長の段階がその時代の様々の動きを批評し判断する当然の作用を持っていることをよろこばず、自分の頭を自分の拳固で殴りつけるように、文化を否定したり、これまでの文化をよくないものときめたりする傾向も現れる場合がある。自分の拳固で殴った位では自然が巧妙に大切にこしらえてくれた頭はこわれないからと云って、壁へ向ってその頭をぶつけっこして、よりつよくぶつけるのが偉いように誇る人間もいると云えば、人々はその愚かさを笑うであろう。それは目に見える愚劣さだからである。けれども、文化に関する同じような愚劣さは、もっと複雑な、もっと形にあらわれない流れとなって私たちの生活へ浸潤して腐敗の作用を及ぼしてゆくために、同じ程度の奇怪な愚劣さでも案外恐れられずにいることが多い。
 この風潮は、特に文化という何か悠長な優柔な、目前の気負い立った目的のためには役立たないものとして言われるような時期に現れるのである。
 その近い例はフランスの敗北についての批評にあらわれた。フランスとドイツの伝統的な対立の感情は誰でも知っているから、フランスは侵入されてもなかなか譲歩しないだろうと思われていた。世界のいろいろな国民がそう思っていたばかりでなく、フランスの国民の大部分もそう思っていたらしい。ところが、巴里の凱旋通をナチの軍隊が足並高く行進することとなって、世界は現世紀の一つの驚きの感情を経験した。どうして、フランスは敗れたのだろうか。この問いが、日本でもあらゆる人々の心に湧いたにちがいない。忽ち新聞に、フランスは文化の爛熟と頽廃とが原因で敗れた、と説明する文章があらわれた。ローマが崩壊したのは有名な「何処へ行く」で私たちにも馴染なネロのような王が現れるほど暴虐と頽廃が支配したからだと西洋歴史で習ったから、今フランスは文化の頽廃で敗北したときくと、一応尤ものように思えるかもしれない。日本歴史では平家の壇の浦の最後を、清盛からはじまる平家のおごりと文弱に原因をおいて話すのが普通…

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