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文学方法論
ぶんがくほうほうろん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「平林初之輔文藝評論集 上巻」 文泉堂書店
1975(昭和50)年5月1日
入力者田中亨吾
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-07-22 / 2014-09-18
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         はしがき

 学としての文学、即ち、文学の理論が可能であるとすれば、従来多くの学者によりてなされたやうに、文学とか、芸術とか、乃至は美とかいふものゝ形式的定義から出発する代りに、先づ第一に、さういふ試みを抛擲して、純粋に経験的なもの、具体的なものから出発しなほさねばならぬ。
 このことは、従来の文学理論がもつてゐた一種の美しさ、深遠味、神秘的な色彩を奪つて、これに甚だしく粗笨な相貌を与へるかも知れないが、それにもかゝはらず、このことは、学としての文学を建設するために、是非通過しなければならぬ一過程であり、一段階であり、どれほどそれが粗笨な理論であつても、それは明かに進歩であるとさへいはねばならぬ。占星術や錬金術から独立したときの天文学や化学が如何ほど幼稚で粗笨であらうとも、依然として、それらは、最も精巧な占星術や錬金術よりも、理論的には遙かに進歩したものであると同じである。
 一切の理論は経験から出発しなければならぬ。単に経験から出発するだけでなく、経験に帰つて来なければならぬ。凡ゆる科学のうちで、最も抽象的な科学は天体力学として発達した。そして天体力学は、抽象的な理論からではなくて、星の運動の観測からはじまつたのである。そして、どんな小さな経験的事実、たとへば水星の近日点の移動の如き事実でも万有引力の理論全体の変革を迫るに十分だつたのである。何故かなら理論は経験にはじまると同時に、経験の検証に堪へるものでなければならぬからである。
 然らば、文学に於ける経験的事実とは何か? 言ふまでもなく、それは、個々の文学作品である。この文学作品なるものは、色々な研究の対象となり得る。即ち、色々な視点から研究することができる。けれども、これに最も包括的な説明を与へ得るためにこれを社会学的視点から研究するより外に道はない。即ち、個々の文学作品が生み出された心理的過程だとか、作品にあらはれた技術上の諸問題だとか、さういふ事柄は一時抽象し去つて、専ら、文学作品を社会的事実として取り扱ふよりほかに道はないのである。尤もこれ等の心理的過程や技術的問題も亦その説明を社会学的方法のうちに見出されるのであるが。

         上編  方法論

         一

 一つの文学作品――それが詩であつても小説であつても戯曲であつてもよい――が製作されるにあたつては、それが全くの気紛れ、全くの任意の所産でない限り、何等かの条件に制約される。若し、文学作品が何物の制約をも受けないならば、文学作品は理論的研究の対象にはなり得ない。吾々はたゞこれを気紛れに鑑賞することしかできないわけである。今日も、ごく稀れにはかやうな考へを抱いてゐる人もあるが、多くの方面に於て、見事な成果をあげた近代科学の方法は、かやうな懐疑論を生ずる余地を殆んど奪つてしまつたと言つてよい。学としての…

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