えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


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一平氏に
いっぺいしに
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻55 恋心」 作品社
1995(平成7)年9月25日
入力者渡邉つよし
校正者門田裕志
公開 / 更新2001-09-27 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 そちらのお座敷にはもうそろそろ西陽が射す頃で御座いませう? 鋭い斜光線の直射があなたのお机のわきの磨りガラスの窓障子へ光の閃端をうちあてると万遍なくお部屋の内部がオレンヂ色にあかるくなりますのね、そしてにわかに蒸暑くなるのでせう、あなたは急に汗を余計お出しになる。でもあなたは、それがどういふ理由からだか分らないやうに余計出れば、何の気なしに余計に拭くといつたやうな具合ひに、他愛もなくあなたの丸い細い顎のあたりを傍らの有合せのタホルで拭き取りながら、せつせと書きものゝお仕事をなさる――それからそんな時、あなたの窓の外の松のみどりが一層、穂先きをあざやかに立てゝそしてそのぱちぱちの線が、またあなたの窓の磨りガラスへ程よくぼけて、あなたの汗を拭きとつた黄白いなめらかな頬へ、それから柔かい素直な分け髪へほんのりと青く反射する――おや、わたくしは何を書き出したことでせう。
「芸術家の夫に与ふる」といふやうな手紙を書くつもりなのでしたが。
 御免あそばせ、わたくしは今、こちらの部屋で(あなたのお部屋を背に一間の大床がどさりと部厚な銀砂塗りの壁で一面、ほとんどあなたのお部屋を隣国のやうにわたくしの部屋の彼方に仕切つてゐますのね)その原稿をどう書かうかと少しもてあましてゐるうちにくたびれてしまつて机へおしりをむけ背中を紫檀の机のわくの彫ものゝ隆起へこりこりと当てながら、足を、それでもこれはちやんと揃へて二本確実に前へ投げ出して居りますの。でも云ひわけではありませんが、そんなに醜い姿態とも自分では思ひませんの、投げ出したと云つても、その足は、ずつと長めに着た浴衣の裾が叮嚀に包んで居りますの、腰紐なしの着流しでもきちんと帯はしめて居りますから丸くまとまつてゐる膝の上に角のきちんとした半切原稿紙の一二枚はいだばかりの一冊を置いて、万年筆を片手にしながら思案して居りますの。
 さて、何と書かう、非常にやさしいやうでむづかしい。
 頭がまとまらないとちよつとのことにも気が散りますのね。夕風がね、実は涼しいのこちらの座敷はね、でもさらさらとなどわたくしの袂はなびかないわ。そんな風流な姿態ではないの、私の袂はぶつきらぼうの元禄袖ですもの。
「まるで男の児のやうだな、上体が寂しいぢやないか。何かお飾り、そして帯はなるたけ赤いのが宜いね」
 外国へ行らしつてからあなたは随分派手好きにおなりになつた。今日はね紫水晶の耳環をして居るの。首かざりは襟に食ひ入る処へあせもが、あの金の細いクサリなりに出来てはいけませんから。それがね、その紫水晶の大粒な珠が、夕風にゆれたり、私が首を動かす毎に、ころころと両方の耳の下をかろくかはゆくうちますのよ。それが可愛ゆくつてわたし涙がにじむのよ。
 こんな私の姿態なんか書かなくても一つ家に居て、おとなり同志の部屋なのですものね。けどあなたには御存知ない、それを私…

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