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隣室の客
りんしつのきゃく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」 ぎょうせい
1995(平成7)年3月15日
初出「ホトトギス」1910(明治43)年9月号
入力者林幸雄
校正者小林繁雄
公開 / 更新2002-12-30 / 2014-09-17
長さの目安約 64 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 私は品行方正な人間として周囲から待遇されて居る。私が此所にいふやうな秘密を打ち明けても私を知つて居る人の幾分は容易に信じないであらうと思はれる。秘密には罪悪が附随して居る。私がなぜそれを何時までも匿して居ないかといふのに、人は他人の秘密を発くことを痛快とすると同時に自分の隠事をもむき出して見たいやうな心持になることがある。そこには又微かな興味が伴ふのである。
 私は山に遠い平野の一部で、利根川の北に僻在して居る小さな村に成長した。村は静かな空気の底に沈んで櫟林に包まれて居る。私の村は瘠地であつたので自然櫟林が造られたのである。丈夫な櫟の木は伐つても/\古い株から幹が立つて忽ちに林相を形つて行く、百姓は皆ひどい貧乏である。だが櫟がずん/\と瘠地に繁茂して行くやうに村には丈夫な子供が殖えて行く。或時は其聚つて騒ぐ声が夕焼の冴えた空に響いて遠く聞えることがある。私は自分の村を好んで居る。さうして櫟林を懐しいものに思つて居る。櫟林は薪に伐るのが目的なので団栗のなるまで捨てゝ置くのは一つもない。それで冬になつて木枯が吹きまくつても梢には赭い枯葉がぴつしりとついて居る。春の日が錯綜した竹の葉の間を透して地上に暖か相な小さな玉を描くやうに成つてすべての草木がけしきばんで来ても、櫟の枯葉は決して落ちまいとしがみついて居る。「ぢい」と細い声を引いて松雀がそこに鳴くやうになれば地上には幾らかの青味を帯びて来る。然し櫟林は依然として居る。四月になつて、春がもう過ぎて畢ふと喚び挂けるやうに窮屈な皮の間から手を出して棕櫚の花が招いても只凝然として死んだやうである。諦めたやうに棕櫚の花がだらけて、春はもうこぼれたやうに残つて居る菜の花にのみ俤を留めて来た時其赭い枯葉を咄嗟に振ひ落して蘇生つたやうになる。さうして僅か四五日のうちに新樹の林になるのである。いつて見れば春といふ季節は櫟林と何等の交渉もない。私は此の植物に同化されたといつていゝのであらうか、私の一身は極めて櫟林の生態に似て居る処がある。さう自覚した時私は櫟林が懐かしくなつた。随つて櫟林に向つていつも注目を怠らない。春雨が浸み透つた梢の赭い葉が、頭を擡げ出した麦の青さと相映じて居るのに見惚れることすらあるのである。然しこんな下等な樹木を好んで居るといふものは恐らく他にはないであらう。
 私は櫟林が春と交渉がないといつた。然しながら長い春の間には櫟も他の樹木の如く皮と幹との間から水分を吸収する生理作用を怠らない。私の一身も春といふ期間に於て索莫たる境涯に在つたのである。それでも櫟が窃に水分を吸収して居るやうに、私にも亦隠れた果敢ない事柄がある。私がはじめて此の世の空気を吸うて泣いた声は私の家では四十八年目に聞かれた声であつた。其時母の乳が乏しかつたので普通ならば「さと子」といつて他の家へ託される筈なのであるが、私の為めには…

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